産業技術教育学会&長岡新潟旅行記

2009年8月20日〜24日

(4) 長岡の街・点描

 4年間過ごした長岡の街、思い出すままに、車で・・・

 
4年間お世話になっていた下宿は・・・ワンルームマンションのようになっていました。私の居た頃は、トイレとお風呂が共通で、洗濯機も共通でした。晴れれば屋根に蒲団を干したりしていましたが、玄関を上がってから広い廊下がありました。写真左は、私の住んでいた107号室です。


 
下宿の前にあった2階建ての倉庫はそのままです。冬場は、この2階に洗濯物を干していました。農機具をいれていた倉庫はなくなって・・・、周りは田んぼが続いて、夏には牛蛙が鳴いていましたが、今は新産業センターも完成して、近くに田んぼもありません。大家さんの家は、そのままでした。

 
写真左は下宿近くの商店、建物はありますが、もう店はやっているのかどうか・・・。写真右は、来迎寺の駅前のスーパーです。ここの息子さんに家庭教師を1年間していました。でも、もう店はやっていないようでした。


 
下宿の最寄のバス停「才津」です。10時半過ぎのバスに乗り遅れると12時過ぎまで次のバスが来なかったのですが、今も11時台にバスはなく、ダイヤはあまり変わっていないようです。ちょっと驚きです


 
大学の寮、ほぼそのままでした。住んでいたわけではないのですが、中に入ると、なんとなく記憶が蘇ってきました。

 
関原にある自動車学校、ここで車の免許を取りました。建物の感じがほぼそのままです。多分コースもそのままのようです。


 
関原のスーパー原信で買い物をして、バイクの後ろに積んで下宿に向かっている時に、写真左の坂道で、ジャガイモが落ちて、この坂を転がったのを妙に新鮮に記憶に残っています。写真右は、お世話になった車の修理工場です。今はスズキ自動車のサービスステーションになっていますが、建物は当時のままです。当時は確か、中野自動車という名前でした。

 
写真左は、希望が丘近くの北山のスーパ、今は駐車場の様子が変わっていますが、当時、ここで買い物をして駐車場に出ると・・・車がありません。そして、違う場所に自分の車が・・・。サイドブレーキが弱くて、ギアもニュートラルのままだったようで、夜の遅い時間で、他の車とぶつかることもなく、人にあたって怪我をすることもなく、ホッとした記憶があります。駐車場の隣が田んぼだった記憶があるのですが、傾斜にそって、その田んぼの脇まで、車が動いていました。 写真右は、知人や先輩が住んでいた下宿、ここは、ほのそのままのようです。


 
 長岡インター近くの喜多町にあった長崎屋喜多町店はなくなって、良食生活館ができていました。店内の雰囲気はすっかり変っていました。そして「トクデン」というディスカウントストアがあったのですが、「得得うどん」といううどん屋さんになっていました。

 
 写真左は、下宿近くの道路、ここで原付の速度違反となってしまいました。15キロオーバー、ブロックを積んでいたのですが、「積載重量オーバーじゃないのかなあ〜」とも言われたのを覚えています。その後、速度違反も駐車違反もなく、ここでの一回だけです。
 そして写真右は、下宿と大学の間の道路・・・12月になって、うっすらと雪が積もるようになってもバイクで通学していたのですが、雪がない処でブレーキを踏んだら、そこは、このマンホールの近くで溶けた雪が凍っていたようで、スリップして転んでしまいました。そのシーズンは懲りて、その後は徒歩で大学まで、そして次の冬は車で通学したように記憶しています。


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