産業技術教育学会&長岡新潟旅行記

2009年8月20日〜24日

(1) 北陸道 〜長岡へ

 新潟大学で開催される産業技術教育学会での発表のために、新潟市を訪れました。新潟県の長岡市は4年間学生生活を過ごした地です。この機会に、久し振りに長岡周辺も訪れることにしました。4泊5日の旅行記です。


 
名神高速での渋滞を避けるために、自宅を出たのが5時半過ぎ。距離計をリセットして0キロに。自宅近くの淡路鳴門自動車道の布施畑ICから入って、山陽自動車道の西神戸ICで、ちょうど6時でした。


 
山陽道は空いていたのですが、神戸ジャンクションから中国道に入いり、西宮辺りを過ぎると、早朝にも関わらず結構、車が走っています。吹田ジャンクションから名神に入ると、渋滞の一歩手前、大山崎ジャンクションから京滋バイパスに入ると・・・空いています。京滋バイパスにはPAがないので、瀬田東ICから名神高速に入って、菩提寺PAで初休憩、家を出て2時間。米原JCTから北陸自動車道に入ると、通行量も少なくなって、福井県との県境附近では、山間部の中を通るの急カーブの看板が幾つもありました。


 
敦賀湾に面した杉津PA、日本海を見るのは久し振りです。


 
ここには、「ゆうひのアトリエ」という展望台があり、そこには「恋人の聖地」があり、メッセージと共に鍵が・・・


 
石川県白山市(旧 美川町)にある下水処理場の塔に書かれた 「美川 県一の町」、目立ちます! 40〜50分でPAやSAで休憩をとりながら、12時
過ぎには富山県と新潟県の県境に近い 越中境PA。ここに芭蕉の句碑があります。

  「一つ家に遊女も寝たり萩と月」 芭蕉

市振の宿(現 糸魚川市)に泊った時に詠んだ句だそうです。

  
 親不知・子不知・・・国道8号線やJRの北陸本線では 今でも難所を思わせるルートですが、北陸道では、海上や トンネルで、かつて難所だった「親不知・子不知」を 感じさせません。


 
 名立谷浜SAには、親不知・子不知で使われていた テトラポットが展示していました。荒波に晒されて丸まっていました。柏崎市の米山PAにも芭蕉の句がありました。

「荒海や佐渡に横たふ天河」 芭蕉

 この句は、出雲崎や寺泊辺りで詠まれた句だと
思うのですが、北陸道は、ここから内陸の長岡に
向かうので、ここにあるのかもしれません。

 時刻は午後2時半。芭蕉が何日か掛けて旅した道中を
2時間ほどで走り抜けてしました。


  
 柏崎インターで降りて、日本海沿いを走りました。 ブルボン・ルマンドで有名な株ブルボンの横を通って 柏崎や刈谷の原子力発電所の近くを通って・・・


 
 5年前の中越地震の傷跡が残っており、通行止め区間が あり迂回路を通りました。西山町では、仮設住宅がそのまま 残っていました。(もうお住まいではないようでした。)


 
 夏の終わりの平日で閑散としていましたが、長岡から 峠を越えて泳ぎに来ていました。群馬ナンバーの車も 多かったです。群馬からだと神奈川や千葉の海よりも こちらの方が(時間的にも距離的にも)近いのかも しれません。
 石地から山を越えて長岡の街へ・


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