小諸


懐古園と小諸駅、2017年08月24日


小諸は,中仙道の追分宿から,善光寺(長野)を経て直江津で北陸道に至る北国街道(ほっこくかいどう)の宿場町です.

 北国街道は,善光寺への参拝と佐渡の金を江戸に運ぶルートで,五街道に次ぐ重要な役割を果たしていたそうです.現在は軽井沢から小諸までの北国街道のルートを国道18号線が走っています.

 小諸駅は,かつては信越本線と小海線との乗換駅で,特急「あさま」の停車駅でした.埼玉に住んでいた頃は,小海線の松原湖バイブルキャンプ場へ行くために、小諸駅で乗り換えをしていましたが、駅構内の乗り換えだけで,改札を出たことはありませんでした.懐古園に行きたいと思いながら・・・今回はじめて訪れます。

 国道18号を軽井沢から、中軽井沢に向かう途中に、真正面に浅間山を望む区間があります。


 国道18号から、小諸市内を通る国道141号に入って、大手門公園の駐車場に車を泊めて、大手前公園の中にある、重要文化財の大手門をまず見学しました.

 この大手門は実践的な城門で質実剛健な建築となっています。


 小諸駅前・・・あまり賑やかな雰囲気ではありませんでした.


 小諸駅を,外から見るのは初めてです.


 改札の外から,列車のンり変え時に,改札越しに吹き抜けの駅舎の中を覗いたような記憶もありますが・・・かなり曖昧です.


 昔の信越本線と小海線の乗り換えのために,小海線から,写真奥の跨線橋の階段を下りて,このホームから特急「あさま」に何度も乗り換えていました.


 跨線橋の通路を歩いて乗り換えた遠い記憶・・・


 小諸駅の南に島崎藤村の「惜別の歌」の歌碑がありました.


「惜別の歌」

 遠き別れに たえかねて
この高殿(たかどの)に 登るかな
悲しむなかれ 我が友よ
旅の衣(ころも)を ととのえよ

別れといえば 昔より
この人の世の 常なるを
流るる水を 眺(なが)むれば
夢はずかしき 涙かな

君がさやけき 目のいろも
君くれないの くちびるも
君がみどりの 黒髪も
またいつか見ん この別れ

 ・・・歌碑の最後は,若菜宗の高楼(たかどの)ではないかと・・・

きみのゆくべきやまかはは
おつるなみだにみえわかず
そでのしぐれのふゆのひに
きみにおくらんはなもがな



 懐古園の入り口は,かつての「三ノ門」です.懐古園で小諸城当時の建造物は,大手門公園にある「大手門」と,この「三ノ門」,そして石垣だけだそうです.


 「三ノ門」は1765年に再建されたものだそうです.


 懐古園の園内は,落ち着いた雰囲気で,ゆったり散策出来ました.


 此処は二の丸跡


 大正12年に当時の皇太子だった昭和天皇が行啓(ぎょうけい)され、懐古園の名が有名になったそうです.戦後,昭和24年に貞明皇后(大正天皇の皇后)も懐古園を行啓されています.


 貞明皇后が詠まれた歌


 懐古園は緑が多く,強い陽射しをやわらげてくれました.此処は紅葉ケ丘と呼ばれている処です.


 苔で覆われた石垣・・・


 小諸城時代,城内唯一の井戸だった荒神井戸です.


巨大な欅(けやき)の木です.紅葉ヶ丘のすぐ横にそびえていました.


 巨大な欅の北側には藤村記念館があります.


藤村記念館の入り口に,藤村の胸像がありました.


 又,藤村の「椰子の実の詩碑」がありました.


詩集「落梅集」より「椰子の実」

 名も知らぬ遠き島より
 流れ寄る椰子の実一つ
 故郷(ふるさと)の岸を離れて
 汝(なれ)はそも波に幾月

 旧(もと)の木は生(お)いや茂れる
 枝はなお影をやなせる
 我もまた渚を枕 孤身(ひとりみ)の
 浮寝の旅ぞ


 園内は,散策していて飽きない光景が多いです.


 そして懐古園の北西の端にも藤村の詩碑があります.


「小諸なる古城のほとり」  落梅集より

小諸なる 古城のほとり

雲白く 遊子(いうし)悲しむ


 真夏の陽射しが照りつける中,遠くに千曲川の流れが見えます.


 この藤村の詩の情景が目の前に広がっているようです.


 懐古園の中には懐古神社があり,その境内にあたる場所にある池


 観光地らしい売店もありました.


 セミの鳴き声が彼方此方から聴こえてきて,ICレコーダを取り出して,しばらくの間,セミの鳴き声を録音しました.


 懐古園の西端からの眺め,千曲川の流れは見えませんが,千曲川沿いの光景です.

 ゆったりとした時の流れを,懐古園で愉しみました.