北軽井沢


白糸の滝 & 鬼押し出し,2017年08月23日


 旧軽井沢と中軽井沢,そして南軽井沢は,車に積んだ自転車で巡りましたが,北軽井沢は・・・車で向かいました.

 車を駐車していた駅前の新軽井沢駐車場から,軽井沢本通りを通って北軽井沢に向かう途中,おそらく駅前のレンタサイクルで借りた自転車で,どんどん旧軽井沢方面に向かう姿を途中で目にしました.


 三笠通り・・・此処でも自転車の縦隊を何度も見掛けました.


三笠通りを,旧三笠ホテル前を過ぎると・・・山道となって,そして「白糸ハイランドウェイ(有料道路)となります.


 木立の中を走る,走りやすい道路です.


 原生林の中を走っているような感じでした.


 途中に「白糸の滝」があり,大きな駐車場とみやげ物屋さんもあります.


 谷川に沿って・・・ほとんどの人は,中軽井沢から国道146号線経由で来ているようです.


 何段もある段瀑・・・後で知ったのですが,人工的な滝のようです.


 結構絵になるシーンに,何枚も写真を撮ってしまいました.


 そして白糸の滝です.落差は3mですが,幅は70mあるそうです.


 これも後で知ったのですが,滝面が湧水を直下させるために、人工的に掘り込んだそうで,人工的な滝とも言えます.


 白糸の滝の前で,たくさんの人が写真を撮っていました.


 駐車場から滝への坂道の脇の石垣が,苔で覆われて,ずっと続いていました.


 此処までの道は,空いていましたが,この先は,国道146号線経由で来る車が駐車場で混乱状態・・・しばらく身動きが出来ませんでした.


 国道146号線に出ると,そこから「鬼押ハイウェイ」の入り口があります.鬼押し出しへ向かうには,この有料道路を通るようです


 高い木がないので視界が開けて,直線が続いて.眺望もよく,白糸ハイランドウェイと違った意味で,快適なドライブを愉しめます.


 久し振りの「鬼押し出し」です.此処は長野県軽井沢町ではなくて群馬県嬬恋村になります.
 

 浅間山から流れ出たゴツゴツとした岩で,一面が覆われていました.


 ゴツゴツした溶岩の向こうに,浅間山が望めます.


 以前来たときは,歩道がこんなに整備されていなかった記憶がありますが,今は,アスファルトで舗装された歩道から,ゴツゴツとした溶岩の織り成す奇景を愉しめます.


 所々に日よけのある休憩スペースがありました.


 鬼押し出しのゴツゴツとした溶岩は,爆発的に噴き上げられた火砕物が火口周囲に堆積して,熔解して凝固しながら,急傾斜を流れて出来た特殊な溶岩だそうです.


 浅間山方面に,大きな夏の雲が成長していました.


 広角の写真で撮ると,なかなかの絶景です.


 溶岩の割れ目から草が生えています.


 松でしょうか?岩の割れ目に根を張って,育っているようです.


 園内には,幾つか「面白い岩」があります.これは象に似た岩です.


 先程の夏の雲,風で南に流されているようです.


 鬼押し出しには,東京・上野の寛永寺の別院である浅間山観音堂が設置されています.浅間山噴火の犠牲者を弔う目的で1958年に勧請されたそうです.


 鬼押し出しの南にそびえる浅間山,南軽井沢から眺める浅間山とは裏表の違った表情を目にすることになります.


 浅間山観音堂の近くに岩が,丸く光っていました.


 ・・・近づくと,コイン,主に一円玉でした.


 鬼押し出しから北方面・・・


 このような舗装された歩道を巡ってきました.


 溶岩に落書きが刻まれていました.


浅間山観音堂からの,浅間山方面の光景です.


 見晴台・・・浅間山とは反対の北方面です.


 志賀高原や万座温泉方面でしょうか?


 少し東に目を移すと・・・草津温泉方面になるのでしょうが?原生林で覆われたような平地が,向こうの山の麓まで続いているように見えます.


 杜の中に点在するレジャー施設が見ます.


 浅間山・・・今も河口付近は立ち入り禁止です.あの頂上から流れ出た溶岩が,鬼押し出しを形成するゴロゴロした溶岩ということになります.


 「ヒカリコケ」というのがあるそうです.


 苔が光るのではなくて,岩の隙間のコケが,わずかな光をも反射するので,光るように見えるそうです.


 「石割の松」樹齢100年以上だそうです.


 岩に根を張って松の木が育っている一帯があります.数十年後訪れると,景色が変わっているのかもしれません.


 最後に・・・浅間山をバックに「鬼押し出し」らしい一枚を撮りました.


 蜀山人の碑がありました.


 蜀山人の「浅間噴火記念碑」です.この碑を作ろうとしたのは,浅間山が大噴火した時の「大笹村」の名主の黒岩長左衛門だそうです.大噴火のときに財産を投げ出して「鎌原村」の救援に当たったそうです.しかし,志半ばで亡くなったそうで,子どもの長左衛門がその意志を実現したそうです.当時の蜀山人は江戸で有名だった狂歌師で,子どもの長左衛門が書を依頼したそうです.

 鬼押し出しを後に,鬼押ドライブウェイを走って,国道146号線を通って中軽井沢に出ました.