南軽井沢


遠くに浅間山を望んで・・・、2017年08月23日〜08月24日


 南軽井沢は,しなの鉄道や国道18号線の南に広がる広大なエリアで,比較的高低差も少なく,自転車の高地トレーニングのような感じで,点在する幾つかのスポットを巡りました.

 軽井沢駅の西側,国道18号線の「新軽井沢交差点」から南に向かう県道43号線は,片道2車線で,広い歩道があって,ゆったりとしています.


 「プリンス通り」の名前がついているように,西武系のホテルやゴルフ場が彼方此方にあります.


 以前勤めていた東京の専門学校の軽井沢セミナーハウスです.毎年此処で教員の夏季セミナーがありました.


県道43号線沿いは,両側に広大なゴルフ場が続いています.


 プリンスホテルも・・・


 旧軽井沢とは異なる,南軽井沢独特の光景・・・自転車も多いですが,彼方此方立ち寄るというよりも,スピードを出して,移動用に乗っている感じです.


 碓氷バイパスを超えて,軽井沢駅から4キロほど走った地点にある石碑です.


「治安の礎」と刻まれている石碑・・・今から45年前の1972年の2月に,河合楽器の「浅間山荘」に連合赤軍が人質を取って立てこもった「あさま山荘事件」の慰霊者を弔う記念碑です.


 実際のあさま山荘は,1キロほど南の,群馬県との県境の日暮山の北側の山腹,浅間山を展望できる場所にあります.

 10日間の立てこもりで,犯人の連合赤軍側は散弾銃やライフル、鉄パイプ爆弾を使って,3名の犠牲者(警察官2名、民間人1名)と27名の負傷者(警察官26名、報道関係者1名)を出しています.

 最終的に,人質は救出され,犯人全員は逮捕されています.

 2月の軽井沢の長期の立てこもり事件で,当時販売されたばかりのカップヌードルが最前線の警官の暖かい食事となったそうで,マイナス15度の寒さの中で,暖かいラップヌードルを美味しそうに食べる警官の姿がテレビで全国に放送されて,カップヌードルの知名度が一挙に高くなったとも言われています.


 「治安の礎」の地点からの浅間山の姿です.山腹の浅間山荘からは,もっと浅間山をきれいに望めたことと思います.


 「治安の礎」の場所の南にレイクニュータウンがあります.以前は,湖の畔まで気楽に行けて,浅間山荘も,そこから眺めた記憶がありますが,今は有料のエリアとなっています.


 プロテスタントの軽井沢南教会,1987年の創立で,軽井沢が避暑地となった後にできた教会です.


 道なりに西に向かうと・・・一面の蕎麦畑・・・長野は北海道,山形に次いで全国3番目の蕎麦の作付け面積が広い都道府県です.


 馬取地区・・・軽井沢というよりも,佐久の長閑な田園風景が広がる地域です.


 馬取(まとり)の薬師堂に「馬取の石仏群」があり,此処まで足を延ばしました.


 急な階段の上にあります.軽井沢の観光地でもなく,訪れる人も稀な場所・・・


 薬師堂の建物です.


 そして薬師堂の建物の脇に,石仏群が並んでいました.


 馬取の方々が,苦しい生活の中で費用を生み出して石仏を造ったようです.


日々の生活の安穏や病気の平癒を願ったり・・・


 或いは,秋の豊作を願ったり・・・


 江戸期の民間信仰が顕れる石仏群です.


 しばしの間,石仏の前で佇んでいました.


 道なりに西に進むと塩沢湖へ至るのですが,山道となって自転車では厳しいので,「治安の礎」の場所まで戻って,「女街道」と呼ばれる道を走りました.

 女街道は,沓掛宿と追分宿の間に置かれた小さな宿場町である「借宿」から中仙道を離れて下仁田へ向かう脇街道だったようです.関所を通らない裏街道のようなものだったのではないかと思います.


 お昼近くになって,太陽の陽射しも強く,自分の影を追って走っているような感じ・・・


 ゴルフ場の脇を通る辺りは,並木道となって,走りやすい道路です.


 並木の間からは,ゴルフ場の様子を目にすることが出来ます.


 風越地区を通り過ぎて塩沢湖に近づくと,博物館や文学館が立ち並んでいます.


 そして塩沢湖です.塩沢湖は,江戸時代に「鷲穴用水」(わしあなようすい)を引き込んで造られた湖です.中軽井沢の南に位置します.


 塩沢湖畔で休息して・・・女街道を戻って,軽井沢へ・・・