中軽井沢


沓掛宿&追分宿、2017年08月23日〜08月24日


 旧中仙道の沓掛宿,草津温泉への「草津街道」の分岐路でもあり,現在も中軽井沢駅前の交差点は,長野原が始点で,嬬恋を通る「日本ロマンチック街道」国道146号の終点となっています.

 軽井沢から中軽井沢に向かう途中の国道18号から,真正面に浅間山を望む地点があります.中軽井沢からの浅間の貌です.
 


 中軽井沢の東端には「沓掛宿」の石碑が建っています.


  信越本線の駅は,1910年には「沓掛駅」として開業していますが,1956年に「中軽井沢駅」と改称して,地名も中軽井沢となって,現在は軽井沢と並んで,別荘地・避暑地となっています.駅舎も,しなの鉄道に移管されて新しい駅となっています.


 駅前の交差点を,旧草津街道沿いになだらかな坂道を上って,街道と並行する湯川を渡る「せきれい橋」の処で,街道から離れて西の坂道を上ると,「石の教会 内村鑑三記念堂」があります.



 無教会主義のキリスト者・内村鑑三の顕彰を目的として建てられた教会で,アメリカ人建築家のケンドリック・ケロッグによる建築だそうです.


 礼拝堂へは,石の回廊を通って・・・


 そして杜の中の小径を歩きます.


 石の教会の入り口です.斜面になって,此処は地階になります.


 地階は内村鑑三の記念堂になっています.


 I for Japan.

 Japan for the world.

 The world for Christ.

 And all for God.

 内村鑑三の墓の墓碑銘として有名なフレーズです.


  遊ぶことも善なり、遊びもまた学びなり. 内村鑑三が説いた言葉です。


 地階から一階の礼拝堂への石の階段


 礼拝堂は撮影禁止なので,礼拝堂の入り口,石のアーチの部分です.


 正面から見た石の教会です.


 旧草津街道を北に向かうと,軽井沢町星野・・・


 ここに星野温泉があります.「星のや軽井沢」が,星野リゾートの発祥の地が此処だというのをはじめて知りました.1914年に開業した「明星館」がルーツだそうです.明星館の名付け親は与謝野鉄幹・晶子夫妻だそうです.


 星野温泉で逗留した北原白秋の文学碑が,星野温泉の一角にあります.

「落葉松」の碑・・・北原白秋の最高傑作と言われている詩,八連の詩です.

   からまつの林を過ぎて、
   からまつをしみじみと見き。
   からまつはさびしかりけり。
   たびゆくはさびしかりけり。

       二  
   からまつの林を出でて、
   からまつの林に入りぬ。
   からまつの林に入りて、
   また細く道はつづけり。

       三 
   からまつの林の奥も
   わが通る道はありけり。
   霧雨のかかる道なり。
   山風のかよふ道なり。

       四 
   からまつの林の道は
   われのみか、ひともかよひぬ。
   ほそぼそと通ふ道なり。
   さびさびといそぐ道なり。

       五
   からまつの林を過ぎて、
   ゆゑしらず歩みひそめつ。
   からまつはさびしかりけり、   
   からまつとささやきにけり。

       六
   からまつの林を出でて、
   浅間嶺にけぶり立つ見つ。   
   浅間嶺にけぶり立つ見つ。
   からまつのまたそのうへに。

       七
   からまつの林の雨は
   さびしけどいよよしづけし。
   かんこ鳥鳴けるのみなる。
   からまつの濡るるのみなる


 そして最後の八連目が,白秋の直筆で刻まれています.


   世の中よ、あはれなりけり。
   常なけどうれしかりけり。
   山川に山がはの音、
   からまつにからまつのかぜ


 8月24日の早朝には,信濃追分宿を訪れました.

中軽井沢となった沓掛宿は,1951年の大火で,宿場町の面影を残すものはほとんど残っていませんが,追分宿は,国道18号線が旧街道の南側を迂回するように走って,旧街道がそのまま残っていることもあって,往時を偲ぶことが出来ます.


 追分宿の西の入り口にある「桝形の茶屋・つがるや」です.


 往時の姿をとどめているようです.


 追分宿の高札場も残っています.


 残念ながら,風雨で文字は読み取れませんでした.


 浅間山への登山道の入り口の碑です.


 この先が浅間山・・・ただ現在も登山道の入り口ですが,登山に際しての注意書きがありました.


 旧本陣跡です・


 建物は・・・残っていませんでした.


 明治天皇が信濃追分を行幸して,ここが行在所だったようです.


 古い建物が,幾つか残っていました.


 堀辰雄文学記念館があります.肺結核を病んで軽井沢で療養して,1944年に追分に移り住んでいます.


 追分宿の「本陣の門」が移築されていました.


 堀辰雄の文学碑が記念館の一角にあります.


 春の大和に往って馬酔木の花ざかりを見ようとして途中木曽路をまはって来たら思ひがけず雪がふってゐた

 1943年に堀夫妻が木曽路、大和路を訪ねた際、木曽福島のつたや旅館の主人に請われて書いたものだそうです.
 


 堀辰雄の追分の住まい・・・


 信濃追分駅は,昔の面影を残した駅舎でした.