旧軽井沢T


旧軽井沢&軽井沢駅周辺、2017年08月23日


 軽井沢は,元々は「かるいさわ」で,中仙道の18番目の宿場町でした,中仙道の難所であった碓氷峠の西側に位置します.宿場町「軽井沢宿」の場所が,現在の旧軽井沢銀座(旧軽銀座)に相当して,明治以降には別荘地となった軽井沢の商店街として,高度成長期以降は避暑地の観光客でにぎわうようになった経緯があります.

 佐久・中込のホテルから中部横断自動車道,旧中仙道を経て,しなの鉄道沿いの国道18号を東に向かって軽井沢町へ・・・高原地帯で,信濃追分辺りが国道18号の最高地点である標高1003mを通過します.

 朝靄の包まれて浅間山の姿を見ることが出来ませんでした.


 軽井沢駅前の着く頃には,霧も晴れました.駅前の新軽井沢駐車場に車を置いて,車の載せた自転車駅を組み立てて矢ヶ崎公園へ,


 この前に軽井沢を訪れたのが,長野新幹線開通前で,特急「あさま」は碓氷峠超えには電気機関車を連結していました.新しい軽井沢駅を訪れるのは初めてです.新幹線の駅としては最も標高の高い940mに位置する駅です.


 軽井沢駅の西側に旧軽井沢駅舎がありました.


 駅前にあるビル・・・記憶に残っています.駅前の交差点に面していた記憶がありますが,どうも長野新幹線の開通に併せて駅前が整備されて,軽井沢駅前の国道18号線は,北側にシフトしたようです.


 軽井沢本通りを通って,旧軽井沢へ・・・


 旧軽ロータリーです.左側の道が,軽井沢駅へ向かう軽井沢本通り,右側が旧中仙道で中軽井沢へ向かいます.そして反対側は,旧軽銀座(旧中仙道)と三笠通りとなる分岐点となります.


 中仙道の軽井沢宿だった旧軽銀座・・・早朝は静かでした.


 軽井沢寫眞館前で記念写真


 更に北に進むと芭蕉の句碑があります.


馬をさへ

ながむる雪の

あした(朝)哉

 ・・・芭蕉も晩秋の信濃路を歩いたのでしょうか?


 芭蕉の句碑の少し北側には,ショー記念礼拝堂があります.


ショー記念礼拝堂は,聖公会宣教師アレキサンダー・クロフト・ショーによって明治28年に創建された軽井沢でもっとも古い教会です.

 ショー記念礼拝堂の横には,ショーハウスがあり,「避暑地軽井沢発祥の地」となっています.

 ショーは当時の英領カナダ生まれで,宣教師として明治5年に横浜に派遣され,福沢諭吉の子どもたちの家庭教師をしていたことがあるようです.療養のために訪れた軽井沢の地に魅了されて,此処を避暑地として別荘を建て,そして教会を設立.このことが外国人が軽井沢に別荘を持つきっかけとなったようです.


 旧中仙道が矢ヶ崎川を渡る二手橋・・・朝日が射し込んで,すがすがしい雰囲気です.


 矢ヶ崎川の流れも,自然のままです.


 旧中仙道を離れて,矢ヶ崎川沿いを遡ると,室井犀星の歌碑があります.


 金沢の犀川左岸の雨宝院で育った犀星は,軽井沢で最初に別荘を持った文学者だそうです.野間文芸賞を受賞した時の賞金100万円で,この文学碑を建立したそうです.

我は張りつめたる氷を愛す
斯る切なき思ひを愛す
我はそれらの輝けるを見たり
斯る花にあらざる花を愛す
我は氷の奥にあるものに同感す
我はつねに狭小なる人生に住めり
その人生の荒涼の中に呻吟せり
さればこそ張りつめたる氷を愛す

 詩集『鶴』巻頭詩「切なき思ひぞ知る」
 


 ソウルで買い求めた一対の俑人の像があり,犀星と妻の遺骨が,俑人の像の下に収められているそうです.


 矢ヶ崎川のせせらぎの音に耳を傾けて,しばらくの間,せせらぎの音を録音しました.


 更に矢ヶ崎川をさかのぼり,支流沿いの山道の向こうに正宗白鳥の文学碑があるようです.舗装されていない山道はロードバイクでは厳しく,自転車を押して歩きました.


 山道を行けども・・・見当たりません.


 だんだん山が深くなって,登山道のような感じです.


 途中で休憩しながら,涼しい避暑地で汗だくになって自転車を押して山道を上っていきました.


 一文字山の山腹に,やっと正宗白鳥の歌碑がありました.


 岡山の和気で生まれて,東京専門学校(現在の早稲田大学)在学中に内村鑑三の影響を受けキリスト教の洗礼を受けていますが,その後,棄教・・・死の直前に信仰復活をして,葬儀は白鳥自身の意志で教会で行われたそうです.

 軽井沢を愛した白鳥の別荘は六本辻近くだったそうです.

 スウェーデン産の黒御影石の十字型の石碑で,この下には白鳥が愛用した万年筆が収められているそうです.

花さうび 花のいのちは いく年ぞ

時過ぎてたづぬれば 花はなく

あるはたゞ いばらのみ

   正宗白鳥が愛唱したギリシャの詩


 今来た山道を下って・・・結構急な下り坂で,やっぱり自転車を押して下りました.


 矢ヶ崎川の支流の流れ・・・


 この辺りにも以前は別荘があったようです.日本最初の 軽井沢ユースホステルも,この道沿いにありましたが,1991人の閉館して,廃墟となっていました.


 旧軽井沢の別荘地区に戻ってきました.


 水車の道辺りを彼方此方自転車で・・・


 旧軽井沢の周辺の雰囲気を愉しみながら・・・


 旧軽銀座近くの軽井沢会テニスコートです.


 天皇陛下が皇太子時代の1957年8月19日に避暑で訪れた軽井沢で正田美智子さんと出逢った場所,3年前にも両陛下がテニスを楽しまれて,今年は,私が軽井沢を後にした8月25日の翌日に,軽井沢で静養中の両陛下が訪れたそうです.


 軽井沢本通りの西側に向かいました.


 石垣が苔で覆われて・・・


 旧中仙道の六本辻です.


 時計回りのロータリーの交差点で,絵になる光景です.


 雲場池です.


 小川を堰き止めた池で,、「お水端」や「スワンレイク」などの愛称もあり,水鳥が池面を泳ぎ回っていました.


 雲場池の近くに恵みシャレ―があります.


 元々は,宣教師のタイガードが,宣教師が集まる軽井沢を訪れ,日本の山間や僻地への伝道のために,軽井沢聖書学院を設立したことに遡ります.

 1971年に軽井沢聖書学院は閉院して,その後軽井沢クリスチャンセンター(KCC)として,キャンプ場となり,その後TEAM(The Evangelical Arriance Mission)が受け継いで,「恵みシャレー軽井沢」として,通年宿泊可能な施設となった経緯があります.


 国道18号線沿いに町立の軽井沢中学校の新しい校舎がありました.


 きれいな陸上のトラックがありました.


 国道18号線を,東に進み軽井沢駅近くに長野県軽井沢高等学校がありました.


 他の都道府県では「〜県立」のように「立」があるのですが,長野県は「立なし」ということは聞いていましたが,実際に目にして,レンズを向けました.
 

 軽井沢駅前には,昔ながらのみやげ物屋さんも残っています.


 新しい軽井沢駅です.JR東日本の新幹線の駅と,しなの鉄道の駅が同居しています.


 峠の釜めし・・・以前は軽井沢の駅で特急「あさま」の乗車前にホームで買って,碓氷峠の車窓の景色を眺めながら食べた想い出があります.

 しなの鉄道のホームの東側は,線路が終わって,駐車場になっていました.


 駅から少し離れた小さなレストラン・・・

 朝6時7分に駐車場に車を停めて,自転車で彼方此方訪ねて・・・駐車場を出るのが12時42分で,6時間半の間,軽井沢を自転車で走り回っていたことになります.