神戸駅から本務校へ
神戸駅から3駅分を歩いて通勤、2017年07月28日
今朝は,JR神戸線・神戸駅で降りて,本務校まで歩きました.約1時間掛かりました. 東海道本線の終点で,山陽本線の始点で,官設鉄道として,明治5年の新橋ー横浜間開業に続く2番目の鉄道として明治7年に大阪ー神戸間に開業した時の終着駅でした. 明治22年7月に新橋ー神戸観が開通して,これが現在の東海道本線の原型となっています.その時も終着駅は神戸でした. 明治22年9月に,兵庫駅ー姫路駅間が開通していた山陽鉄道が神戸駅まで開通して・・・終着駅ではなくなりました. |
神戸駅の東側(浜側)の高架沿いに蒸気機関車が保存されています. |
元町商店街の西端にトライアングル・ゾーン,「西元町きらきら広場」があります.此処は昔,多聞通(国道28号線)からと,兵庫の町からの市電が合流して,この辺りで南へ向かって栄町筋を東へ,そして大丸前へと向かう市電のメインストリームの「元町6丁目」の停留所があった場所です.そして元町商店街の終点には三越百貨店がありました. |
正面が元町商店街のアーケードの終点で,右側のマンションが,三越百貨店跡です.そして横断歩道のある道路が・・・宇治川の流れでした. 此処に「兵庫県里程元標」が建っています.宇治川に架かる相生橋を西国街道が通り,相生橋の西詰が,当時の兵庫の原点・・・のようなものだったと思います.昔は町中の端の袂に高札が掲げられていた,あの風景が此処にあったようです. |
里程元標の脇にある石碑をよく読むと,当時の国鉄の高架工事に伴って,一旦湊川神社に移されたそうですが,平成16年に元の場所に戻されたそうです. この場所は,古い兵庫の町と,新しい港町・神戸の中間に位置して,鉄道の終着駅もこの辺り,そして兵庫城跡にあった最初の兵庫県庁が移転したのがこの近くで,現在の地方裁判所のある処です. 此処が明治初期には,神戸の町の中心のような感じだったのかもしれません. |
旧・宇治川の道路をさかのぼって・・・JRの高架,これより北には,川筋跡がメルカロード宇治川という商店街になっています. |
JRの高架下には「モトコー」と言われる高架下商店街が続いています. |
早朝のモトコー・・・シャッタが閉まっています. |
高架下商店街の付近では,港町の光景が色濃く,初期の村上春樹の作品に出てきそうな店構えが多いです. |
高架下商店街のシャッター |
空き瓶が並べられたレストラン, |
横須賀 どぶ板通りを思わせる店が,結構あります. |
元町商店街の西側付近の光景です. |
そして元町商店街の東端・大丸前のスクランブル交差点の処です. |
此処は鯉川筋と言いますが,鯉川という川が流れていました.宇治川と同様で,現在は暗渠となっています.此処に鯉川を渡る西国街道の橋が架かっていたのではないかと思います. |
旧居留地の西北に位置する大丸神戸店です. |
トアロードと旧居留地の北端の処に三ノ宮神社があります.繁華街・三ノ宮のルーツです. |
三ノ宮の前,旧居留地との境界の西国街道で,幕末に神戸事件が起きています. |
早朝の三ノ宮商店街は,荷物を運び入れるトラックが並んでいます. |
三ノ宮駅前を経て,旧・西国街道はまっすぐに東に向っています.喫茶店と散髪屋が並ぶ光景です. |
出勤時に3駅分,1時間以上歩いたので,本務校近くで牛乳とアイスのバニラもなかを買って,汗をぬぐいながら味わいました. |
今日も早引きして・・・須磨行の各駅電車に乗って,須磨駅で乗り換えです. |
須磨駅の下りホームは,線路と並行する道を隔てて砂浜が広がっています.海の家が並んでいます. |
今日の活動量・・・ OMRONの万歩計では, 活動量 822キロカロリー EPSONの活動量計では, 脂肪燃焼 2時間01分 歩数 13920歩 |