淡路島


春先の淡路島 処々、2017年03月09日


 今朝は午前6時前に自宅を出て淡路島へ向かいました.自宅を出た時にはライトを点けていましたが,垂水インターチェンジの入口の到着する頃にはライトの点灯が必要ないぐらいに明るくなっていました.


 舞子トンネルです.自宅から数百メートルの地下を通っているのですが,淡路鳴門自動車道,山陽自動車道,そして第二神明道路北線が複雑に乗り入れる大規模なインターチェンジの敷地を名谷に建設したので,自宅から淡路島と反対方向の北側に向かって,舞子トンネルで地下を戻る必要があります.

 早朝の淡路・四国方面は空いていました.


 舞子トンネルを抜けて,舞子海岸の上で,すぐの明石海峡大橋となります.


 片道3視線の最も左側をゆっくり走ると,橋を渡るのに4〜5分掛かります.


 明石海峡大橋を渡って淡路島に入りました.

 淡路島は,江戸時代には本州側の姫路藩や,その後に姫路藩から分かれた明石藩ではなくて,四国側の徳島藩の知行地となっていました.

 明治維新の廃藩置県によって徳島藩は阿波国・讃岐国・淡路国からなる名東県となって淡路島も名東県の所属となるはずでしたが,明治3年に稲田騒動(庚午事変[こうごじへん])が起こり,と呼ばれる路洲本城下で蜂須賀家臣の武士が、筆頭家老稲田邦植の別邸や学問所などを襲う事件が起こました.

 この事件によって淡路島の帰属が結果的に兵庫県となった経緯があります.稲田事件がなければ・・・淡路島は兵庫県ではなく,そのまま徳島県であった可能性が高いともいわれています.

 淡路島の岩屋にある淡路SAから明石海峡越しに五畿内の西の端となる鉢伏山が写真の右端で,西国となる播磨国明石郡垂水郷の塩屋から垂水辺り,そして写真の左端が高丸陸(たかまるくが)となります.

 中世までの山陽道は,鉢伏山の海側のなだらかな山裾が海岸線では屏風壁のようになって通行の難所であったので,鉢伏山の反対側,摂津国八部郡(やたべぐん)須磨郷の辺りの須磨の関所から鉢伏山の北側を迂回して垂水郷へ至る経路だったようです.


 早朝に出発したので,淡路SAから東側を望めば大阪湾の海面をオレンジ色に輝かせる朝日の輝きを目にすることができました.


 淡路島の北端の岩屋から播磨灘沿いの西海岸を走る県道31号線を南下しました.県道31号線は,夕方には播磨灘に沈む美しい夕日が見られるのでサンセットラインとも呼ばれています.右手が播磨灘で海岸線沿いをひたすら南下です.


 岩屋から野島,富島,育波,室津,尾崎,郡家の集落を走り抜けて,郡家から郡家川をさかのぼって伊弉諾神社へ


伊弉諾神社の位置は,

・真東に伊勢神宮内宮
・夏至には諏訪大社から太陽が昇り、出雲大社に沈む
・冬至には熊野那智大社から太陽が昇り,高千穂神社に沈む
・真北には但馬国一宮の出石神社



それを表わす石碑があります.


 境内には昭和天皇御手植えの楠があります.


 郡家に戻って,江井,明神・・・明神から次の集落の都志まではほぼ真っ直ぐな海岸線ぎりぎりに県道31号線が走っています.


 都志から明神,鳥飼・・・鳥飼を過ぎると五色浜の砂浜が続きそして慶野松原です.


 松枯れで切り倒された切り株の近くで,植えられたばかりの松の苗木がすくすくと育っていました.


 慶野松原を過ぎて湊,県道31号線は湊の集落から大日川沿いにさかのぼって福良方面に向かって国道28号線と合流します.湊の集落から海岸線沿いには県道25号線となります.


 途中で県道25号線は海岸線を離れて山の中へ・・・海岸線沿いには県道476号線が分岐しています.この道を走ったことがなかったので海岸線沿いの県道476号線に入りました.途中から隘路になって・・・


 大雨時や暴風の時には通行止めになる区間がありました.


 津井の集落の港で県道は終点でした.県道476号線は南淡路島の西海岸を縦断している県道25号線と津井港とを結ぶ「津井・津井港線」でした.

 この先は雁子岬を経て県道25号線とつながっているようですが,さらに隘路で,離合困難な道のようだったので,また県道476号線に戻りました.


 津井から丸山へ・・・この辺りは道幅が狭くなっています.丸山の集落には突き出た「島」という地区があり,その先には弁天島があります.その突き出た部分が島のように見えています.


 丸山の港近くの集落を迂回するように県道が走っています.道幅の広いバイパスではなくて曲がりくねって見通しの悪い区間です.


 丸山の集落を抜けると・・・播磨灘越しに四国の山影を見ることができます.「緑の道しるべ」阿那賀公園から鎧崎越しに見る大鳴門橋と四国の山影です.


 公園から山側(東側)を見上げると丘の上の住宅越しに風力発電の風車が見えます.淡路島は風の通り道・・・風車が多いです.


 阿那賀の集落をへて山道を上って・・・鳴門岬の先端に向かう県道237号線で鳴門岬の先端にある「道の駅うずしお」です.大鳴門橋の淡路島側となります.


 淡路島の先端で,平日の朝早い時間帯にも関わらず結構人出がありました.


 淡路の名産が処狭しと並んでいます.


 玉ねぎスープの試飲,何杯かお替りして身体を温めました.


 淡路島の鳴門岬と,四国徳島の鳴門市大毛島のとをむすぶ大鳴門橋です.


 県道237号線を戻って県道25号線を福良方面へ,この辺りは「うずしおライン」と呼ばれて景色が良いです.特に「鳥取の波戸入口」と呼ばれる地点からの眺めが好きで,車を停めて・・・


 大園島の向こうは,福良湾の反対になる大見山のある阿万吹上(あまふきあげ)の押登岬の辺りです.ホテルニュー淡路プラザ淡路の建物が見えます.


福良の町に入って,福良港の「道の駅・福良」です.


 鳴門の渦潮を見る観光船「日本丸」が,もうすぐ出港でした.


福良の町には福良小学校がありますが,中学校は町から離れた高台の住宅地にある南淡中学校となります.この近くにナトリウム温泉の「ゆーぷる」があります.お気に入りの温泉です.


 平日の朝で,ゆったりと温泉に浸かって・・・ソフトクリームのサービス券をもらいました.


 途中から県道25号線を離れてホテルニュー淡路プラザ淡路のある方面へ,途中に大見山の山頂付近を通ります.その近くに「若人の広場」があります.


 以前,ここを通った時には廃墟のような状態でした.最近整備をしたそうで,綺麗になっていました.此処は太平洋戦争において,学業半ばでさまざまな軍需工場での生産に動員され、そこで亡くなった男女学徒を追悼する施設で昭和42年に建設されたそうです.阪神・淡路大震災の影響などにより閉鎖をしていたようです.以前此処を通った時は閉鎖状態だったようです.


 手前の石垣が「平和資料館と戦没学徒記念館」で,その先の塔が「慰霊塔」です.


 中に入りませんでしたが,大きな構造物です.


 石垣を上って,屋上からの眺めです.慰霊塔の向こうは福良湾です.


慰霊塔です.


 高さ25mの慰霊碑の基部にある「永遠の灯(ともしび)」は、戦後60年の節目となる2005年8月15日に十数年ぶりに点灯されたそうです.


 慰霊塔の辺りから北を見ると,福良湾の奥の福良の町です.


 西に目を向けると,大鳴門橋を望めます.


 東を見ると阿万(あま)に広がる田んぼ・・・


 そして南東の方向には吹上浜・・・青少年交流の家が見えます.手前の真っ直ぐな道は県道25号線です.


 ホテルニュー淡路プラザ淡路の横を通り抜けて吹上浜の「国立青少年交流の家」新人研修の時に,ここで1週間ほど研修を受けました.遠い昔・・・


 左側のガラス張りの部分が食堂だった記憶があります.右側が宿泊棟だと思います.


 ここで毎朝,朝礼があってラジオ体操をしていました.


 オリエンテーリングで彷徨った吹上近く・・・玉ねぎを干す倉庫が並んだ三叉路で左側に進んだ記憶が鮮明に残っています.



 地図を持って数人のグループでこの道を歩いたな〜と,記憶の奥底に沈んでたシーンがよみがえってきます.


 玉ねぎを干す倉庫が並ぶ光景は,私にとって淡路島の原風景です.


 オリエンテーリングで地図を頼りに吹上浜の砂浜に出て,此処から青少年交流の家に戻ったように思います.この広い砂浜でキャンプファイアーをしたなあ〜と・・・


 思い出深い吹上浜を後に,阿万の集落から県道76号線・南淡路水仙ラインに入って・・・山道を走ると,海の上に沼島(ぬしま)が見えます.


 この辺りは淡路島の南端で山が海まで迫って屏風壁のようになっています.


しばらく走ると海岸線沿いの道,右手が紀伊水道,左手が山,このような光景が続きます.灘地区です.


 アスファルトがコンクリートになって・・・海岸線付近には集落はありません.


 灘黒岩水仙郷,そしてモンキーセンターを過ぎて,中津川からは完全な屏風壁となって山が海まで迫っているので山の中のつづら折りが続きます.

 途中に立川水仙郷,そして「なぞのパラダイス」があります.


 山道を過ぎて由良の集落,そして洲本温泉を経て洲本の市街地,洲本川を渡ると国道28号線となって,淡路の北端・岩屋まで東海岸を国道28号線で北上することになります.

 淡路島の東海岸を北上,右手が大阪湾,そして左手が淡路の山という光景が続きます.国道で交通量もあるので,途中で適当に車を停めて撮影することもままならず,道なりに北上して志筑の町へ.

 海岸線沿いの国道28号線を離れて,神戸淡路鳴門自動車道の津名一宮ICへ向かう県道88号線を道なりに・・・「たこせんべいの里」に立ち寄りました.


 おせんべいの試食とコーヒーお茶のサービスで休息して,おみやげのおせんべいを買いました.


 県道66号線で津名・淡路市の市役所がある集落です.

 生穂南の交差点からバイパスを走ります.佐野の集落を迂回します.これまでで自転車でもっとも南下したのがこの佐野の集落まででした.

 バイパスを走っていると「神戸37キロ,久留麻9キロ」の標識がありました.それほど大きな集落ではない久留麻が何故表示されているのかなあ〜と思いながら北上しました.


 釜口漁港が近づくと,釜口の交差点の近くにそびえる観音像が見えてきました.


 釜口の交差点近くからの見上げた世界平和大観音像です.遺産放棄で所有者がいない状態で,かなり前から崩壊の危険にさらされています.

 釜口の交差点までは,私の淡路行きのサイクリングのUターン地点です.


 仮屋漁港を通り過ぎて道路標識に表示されていた久留麻,以前は淡路市ができるまでは東浦町の役場があった処です.ここから県道71号線で山の中に入りました.仁井の交差点で県道157号線に入って北上・・・「あわじ花さじき」に向かいました.


 花の時期には一面の花さじきの光景が広がっていますが,今は一部を使って菜の花が咲き誇っていました.一部といっても・・・かなり広いです.


 午前中は小雨,そして曇天で肌寒かったですが,午後からは晴れ間も出て,花さじきでは青空が広がっていました.春の優しい陽光が菜の花を輝かせていました.


 向こうの山裾まで広がる菜の花畑をいろいろなアングルで・・・

 バックに森を入れるとちょっと引き締まった光景になります.



 色鮮やかな花壇が続いています.背景の右上の2本の棒状のものは明石海峡大橋の2本の主塔です.


 どこまでも続く花のじゅうたんのようです.


 柔らかい春の陽を浴びてきれいでした.


 北の端に行くと明石海峡越しに神戸・垂水の町が見えます.


 県道157号線を北上して・・・途中で風車が何台も乱立している処がありました.野島の集落の山側で,明石の海岸線から見える風車群になると思います.


 県道157号線を道なりに山道を進むと淡路島公園となって,そのまま淡路ICに入ります.

 帰路の明石海峡大橋,向こう側が本州で舞子から垂水の住宅地です.


 明石海峡大橋を,ほぼ渡り終わって,左側のビルがJR舞子駅の駅ビルとなります.


 舞子トンネルを通って自宅から1キロ程の地下をそのまま通り過ぎて・・・

 垂水ジャンクションにある出口ゲートを間違えると山陽道に入ったり,第二神明に入ってしまうので注意深くカラーリングされたレーンを通って垂水出口へ・・・

 朝6時前に自宅を出発して午後6時前に帰宅,ほぼ車の運転ばかりでしたが,伊弉諾神社や,鳴門岬,若人の広場,吹上浜,そして花さじきで歩き回ったり写真を撮ったりしたので,思ったよりも運動量は多かったです.

歩数 10411歩
有酸素運動 1分
脂肪燃焼 1時間19分