滝の茶屋2017


追憶、2017年02月18,19日


 3歳から20歳まで住んでいた町を久し振りに散策しました.

 須磨で生まれて,3歳の時に滝の茶屋に引っ越して,そして20歳からは新潟の大学へ・・・少年時代の十数年を過ごした町です.

 記憶を辿ると・・・昔の垂水のバス停は,駅前の道が狭くて,垂水小学校の北側のこの石垣の辺りでバスの乗り降りをしていた記憶があります.


 垂水の街を流れる福田川,昔は垂水川と呼ばれていたそうです.


 水道橋・・・滝の茶屋に住んでいた頃は,この橋を渡って垂水の街へ出掛けていました.水道管が橋と並行して川を渡っていたので水道橋の名前が付いたと思うのですが,今は水道管は見当たりませんでした.


 しばらく歩くと交差点,まっすぐ坂を上れば滝の茶屋の町です.



 昭和21年に米軍が撮影した滝の茶屋周辺の航空写真です.

Aが山陽電車の滝の茶屋駅で,IとJが川崎重工の社宅,Cが滝乃市場でDが丸亀市場・・・当時はまだ田んぼでした.駅前商店街も川重の社宅の周辺も田畑が広がっていました.



 ほぼ同じ場所の航空写真で,こちらは昭和44年です.記号は同じにしています.




 今はマンションとなっている道路の左側は,雑木林(航空写真O)でした.この雑木林の中を何度か探検した記憶があります.


 坂を上ると・・・福田川を挟んで西側に高丸陸(たかまるくが)と呼ばれてい丘陵地があります.この丘の更に西側,今は暗渠となっています天神川を挟んだ,更に西側の丘陵地に今は住んでいます.


 西側に急な階段があって,福田川沿いへの近道となっています.


 車が走る道から外れて,子どもの頃に通っていた細い道へ・・・.昔ナショナル・スーパー(航空写真F)があった辺りの窪地を通る近道・・・でもこの細い道の先は行き止まりになっていました.


 ぐるっと廻り道をして,さっきの行き止まりの細い道の反対側(北側)です.


 この道を北側へ進むと三差路になっています.左のアパートに挟まれた道をよく通っていました.子どもの頃の近道です.


 坂になっていて,アパートの間を縫うように通って・・・


 車が通る道に出ました.結局,近道が行き止まりになって,かえって遠回りしたように思います.


 昔は,この金網の中に送電用の鉄塔がありました.今は滝の茶屋の住宅地の中では,鉄塔はなくなって,すべて地中ケーブルとなっているようです.でも鉄塔用地はそのままです.


 このアパートには中学校時代の同級生が住んでいたなあ〜と・・・今は廃墟となっていました.


 駐車場となっていますが,昔は原っぱでした(航空写真M).ここでよく遊んだ記憶があります.凧揚げは・・・此処でした.


 養勝寺(航空写真L),此処の境内で夏は盆踊りをしていました.大晦日の夜に除夜の鐘を耳にした記憶もあります.


 このバス停の西側には池がありました.今は埋め立てられています.


 建物が建って,舗装された道路になっていますが,子どもの頃はこの辺り一面には原っぱが広がっていました.夏から秋にはバッタやコオロギを採りに虫網を持ってこの辺りをウロウロした記憶があります.その頃の面影は・・・全く見当たりませんでした.


 池の南側は坂になって,鬱蒼とした森のような記憶があります.一部木が残っていました.崖のような斜面に沿って,昔ながらの狭い坂道で,今はあまり使われていない道のようです.


 子ども時代に散髪をしていた理髪店,もう店は営業していないようです.


 ザ・スパイダース、その後PYG,そして沢田研二のバックで演奏することも多かった井上堯之バンドを率いていた井上堯之の実家だと聞いたことがあります.真偽はわからぬままです.


 以前住んでいた家の近くの交差点,右の坂を上ると小学校,まっすぐ進むと中学校,左の坂を下ると昔住んでいた家,そして手前側が滝の茶屋駅です.


 さっきの坂を下って,振り返えった光景です.


 この道でよく遊んでいました.


 3歳から20歳まで住んでいた家です.建て替えずに,ほぼそのままです.


 滝の茶屋は,戦後に川崎重工や三菱重工の社宅,そして当時の国鉄の官舎が出来て,田んぼが広がるこの辺りに住宅がどんどん出来たような経緯を辿ったようで,都市計画もないまま,昔の田んぼが住宅地となって,畦道だった処が通路のような道となったようで,迷路のような通路が今も残っています.この細い道も,近道として通っていました.


 狭い道に側溝があり,昔は畦道と用水路だったのかもしれません.


 三差路・・・右に行くと垂水駅,左に行くと滝の茶屋の街です.


 このアパート,友だちが住んでいた記憶がかすかにあります.


 このアパートには小学校時代の同級生が住んでいました.ジェームス山での校外学習で大きな石から転んで手を骨折して,しばらく学校を休んでいたことを,何故か鮮やかに思い出しました.


 ここにも小学校時代の同級生が住んでいた記憶があります.2階は入るとすぐに階段になっている構造でした.今はこのアパートには誰も住んでいいないようです.


 幼稚園時代の通園路です.

 車が通れる道もありますが,この細い道を通っていた記憶があります.


 右側には鉄工所がありました.火花が飛び散って甲高い音がしていた記憶があります.


 細い道を抜けると,正面に,通っていた幼稚園(航空写真G)がありました.随分前に廃園になって,今は分譲されて住宅地となっています.


 さっきの通園路と並行する道路です.小さい時には内風呂がなくて,此処の銭湯に通っていました.


 元・ナガタ薬品です.1号店が長田にあって,確か此処は2号店だったそうです.昔住んでいた頃はナガタ薬品でしたが,今はアルカ・・・でも「ナガタ薬品」との文字があります.


 住んでいた頃には,滝の茶屋での買い物は「滝乃市場(航空写真C)」,その南にある「丸亀市場(航空写真D)」,そして駅前のスーパー・トーホ(航空写真F),後からナショナル・スーパ(航空写真F)が出来ました.

 ナショナル・スーパと丸亀市場は消滅しており,此処の滝乃市場も数軒の店だけで,ほとんどシャッターが閉じたままです.


 中に入ると3軒だけが営業しているだけのようです.


 道路の左側に川重の社宅があり,突き当りが滝乃市場,手前(南側)には丸亀市場がありました.


 丸亀市場(航空写真D)はなくなって,住宅が並んでいました.


 丸亀市場だった処の南側,市場の八百屋ともう一軒の店の子どもが同級生で,丸亀市場に隣接する,この辺りに住んでいた記憶があります.


 更に南側・・・山陽電車の線路が見えます.この辺りから,流れが線路の下を通って海に流れ落ちる処がありました.それが「滝の茶屋」の名前の「滝」でしたが,今は流れ自体がなくなって,滝があった場所も入れなくなっていました.

『石走る垂水の上のさわらびの萌え出づる春になりにけるかも』

 万葉集に詠まれた垂水(たるみず)が,この滝だったとすれば,この滝の茶屋の高台一帯に,さわらびが萌え出づる様子を詠ったのかもしれません.


 滝の茶屋一帯は,谷と丘が入り乱れて,坂や階段があって高低差が住宅地の中にもあります.此処は窪地だった処です.中学校時代の同級生が,この辺りに住んでいましたが,何処かわからなくなってしまいました.


 子どもの頃の掛かりつけのクリニックがあった場所です.クリニックはなくなって,真新しい普通の家が建っていました.


 幼稚園への通園路,そして滝の茶屋の中心地辺りを歩き廻って・・・

 次は小学校への通学路を辿ってみます.幾つかの経路があって,もっとも近い道,でも細い迷路のような道です.

 自宅近くの三角形の公園です.昔の国鉄の官舎の隣でした.小学校には,この公園を突き抜けて,近道となる細い道を通っていました.


 この道を右折して・・・

 此処をまっすぐ進んで・・・


 道は更に狭くなって…現在は行き止まりでした.




 引き返して車が通る道を進みました.

この辺りで冬の夜に空を見上げると,学校で習ったばかりのオリオン座が綺麗に見えて感激した・・・その時の記憶が鮮やかに蘇りました.


 この辺りは国鉄の官舎が並んでいましたが,今は高層の市営住宅となっています.この官舎があった敷地の土手や官舎の庭先でチョウチョやトンボを採った記憶があります.


 正面が盲学校(航空写真H)で,右奥の道を進めば.元・国鉄の官舎,左を進めば滝乃市場,右手前の坂を上れば小学校,そして手前には滝の茶屋駅駅前商店街となります.


 先程の交差点の右手前の坂道,右側の店には文房具屋さんがありました.ノートや鉛筆は此処で買っていました.朝には小学生で賑わっていた記憶があります.「まるしょう」という名前の文房具屋だった記憶があります.

この坂の突き当りが小学校の校庭です.


 小学校(航空写真B)・・・南側に校庭があり,その北側に校舎,校舎は建て替えられて,あまり懐かしさを感じられませんでした.


 昔は校門を入ると藤棚があり,小さな池がありました.校門の右側には雲梯があった記憶がありますが,藤棚も雲梯もありませんでした.


 校舎の西の端は,確か一階が図書室で,2階は忘れましたが3階は音楽室でした.音楽室からの眺めは,明石海峡越しに淡路の島影が見えました.道路からの眺めですので,校舎の窓からは,もっと綺麗だと思います.

 強い雨の日に,霞か霧かかかって海峡が見えなくなって,そして淡路の島影も見えなくて,授業そっちのけで窓から淡路の姿を目を凝らして追っていた記憶・・・はるか昔の想い出です.


 さきほど行き止まりだった近道,逆の小学校側から挑戦しました.この坂の下に向かいます.


 この狭い道を通って・・・


 右を進めば,さっきの行き止まりの処につながっていたのですが,こちらからも,もちろん行き止まりでした.左に進めば,元・国鉄の官舎だった処に出ます.


 引き返して,違う通学ルート・・・小学校の北側,この辺りにも小学校や中学校時代の同級生が住んでいましたが,U字型になった道の真正面にあった住宅がなくなっていました.


 この坂道を小学校の行き帰りに通っていました.


 坂を下りて見返すと・・・


 ここにも銭湯があります.此処の銭湯にも来ていた記憶があります.確か銭湯の隣にパン屋さんがあったのですが,なくなっていました.


 次は・・・中学校への通学路です.

 この道路となっている左側が,以前には池がありました.


 周囲は原っぱが多かったですが,中学校への通学路沿いには住宅があり,アパートが並んでいました.当時と同じような景色です.


 此処を抜けると,崖があって,崖の下には田んぼがあって,土手や畦道にはレンゲ草が咲き誇っていた記憶が鮮明に残っています.よく虫取りをしたなあ〜と,そんなことを思い出しながら歩きました.


 崖だった処(航空写真こ)には・・・マンション群が建ち並んでいました.この辺りに急な坂道と崖があって,崖を滑り落ちるようにして遊んでいた記憶があります.この下には田んぼが広がって,畦道や土手で虫を採った記憶,そしてレンゲ草が土手や畦道で咲き誇って,西に沈む夕日が真っ赤に辺りの雑木林や田んぼ,土手,崖の斜面を照らした記憶があります.暗くなるまで遊んでいた,はるか昔の記憶です.


 昭和21年の航空写真,滝の茶屋の北部です.

あ・・・東垂水小学校
い・・・塩屋カントリークラブ(外国人クラブ)
う・・・関西聖書神学校
え・・・垂水東中学校
お・・・美山台
か・・・ジェームス山
き・・・養勝寺
く・・・凧揚げ広場
け・・・警察独身寮
こ・・・崖(夕日の綺麗な)




  昭和44年の滝の茶屋北部の航空写真です.上の航空写真と記号は同じです.





 道路の右側が小学校,そして正面が中学校です.


 1年生の時,12クラスで,出来たばかりの隣接する小学校の一部の教室を借りて,そこが2学期のホームルーム教室でした.ちなみに1学期はプレハブ教室で,3学期になってやっと中学校の校舎がホームルーム教室でした.


 校門を入ってすぐの処にプレハブ教室がありました.隣接する小学校は後から出来て,昔の校舎がそのままですが,中学校の校舎は建て替えられて・・・懐かしさは,あまりありませんでした(航空写真え)


 3年生の教室は,北校舎の1階の東端でした.以前は東門がありましたが,今はありませんでした.


 中学校の南側に,美山台の住宅地(航空写真お)があり,丘陵地の周囲に道路が巡っています.今も雰囲気は同じでした.


 美山台の高台の東側には,通称ジェームス山(航空写真か)がありました.造成の途中でやめたのか,数段の段差がある裸の山でしした.

 この裸の山が,子ども時代の遊び場でした.今はジェームス山の北側は造成されて宅地となっていました.もっとも高い処には教会もありました.


 ジェームス山の南側(航空写真N&か)は,昔は裸の山でしたが,木が生い茂っていました.でも立ち入ることが出来なくなっていました.ぐるっと廻ったのですが,私有地で入れないようです.


 ジェームス山の南側,不動明王があって,その向こうは外国人向けの住宅があり,子どもの頃にはセミ採りに来ていました.懐かしい場所の一つです.


 今は外国人住宅地への立ち入りは禁止となってります(航空写真い)


 ジェームス山の南側には神学校(航空写真K&う)があります.日本伝道隊の本部で,日本イエス・キリスト教団の拠点でもあるようです.


 滝の茶屋の町を歩き廻っていると,古いタイプの住宅がそのまま残っている処が幾つかありました.戦後すぐ,或いはそれ以前からの建物のようです.


 この狭い道は,昔の畦道だったのかもしれません.田んぼが住宅地となって,畦道が,そのまま細い生活道路となったのかもしれません.


 処どころでプロパンガスを見ました.基本的に大阪ガスのサービスが行届いているはずですが,何故かプロパンガスを見掛けます.古いタイプの住宅では,そのままプロパンを使い続けているのかもしれません.


 滝の茶屋駅前商店街を一歩入った処にあった,廃墟となったアパートです.ロープが張っていました.


 2階への階段が抜けています.


 駅前商店街,子どもの頃は感じませんでしたが,滝の茶屋駅の駅前のメインストリートしては,道幅が狭いです.滝の茶屋の北に広がる青山台には,滝の茶屋駅からのバスはなく,垂水駅からのバスとなります.


 薬局です.ここで切手をよく買っていた記憶があります.今は切手を扱っていないようです.


 トーホー・ストアー(航空写真E)です.一時はトーホーの本部だったったようです.滝の市場や丸亀市場,そして後発のナショナル・スーパと違って,トーホーだけは繁盛しているようです.私が住んでいた頃は,店は北側だけでした.ちょっと広いコンビニ程度の広さでした.でも子どもの頃には広く感じていました.


古書の土井書店だった店舗跡がそのままです.朝からタンノイの大きなスピーカでゆったりとしたクラシックの音楽が掛かっていました.向かい側にはテラオ書店があったのですが,こちらもシャッターが下りたままです.当時は文庫本やラジオ,アマチュア無線関係の雑誌,子どもの頃は手品の本やペットの飼い方の本もテラオ書店で買っていました.


 空き地となっていますが,此処にアパートがあって,その一室のにあったソロバン教室に通っていました.


 駅前商店街の南端,新聞配達店の右隣は喫茶店でしたが,ずっと店が閉じたまま,数年前に訪れた時には古い店がそのままでしたが,今は建て替えたようです.


 正面が山陽電車の滝の茶屋駅(航空写真A)です.


西側のルート,こちらは見晴らしが良いです.


 以前,此処に立ち食い蕎麦の店があったこともありましたが,今はエレベータが設置されています(航空写真A)


 ホームの壁には,母校の中学生が書いた壁画がありました.


 滝の茶屋駅は,眺めが良くて,大阪湾,明石海峡,そして淡路島を一望できます.


 上りホームからの眺め・・・


 阪神電車の直通特急が走り去っていきました.


 垂水の灯台,平磯灯台です.

 英国人作家サマ セット・モームの作品『困った時の友』は,この灯台を題材にしています.残念ながら,まだ読んでいません.

 その向こう・・・淡路の端にある巨大な観音像が見えます.夏には自転車で明石から岩屋まで連絡船で渡って,観音像の処まで走っています.


 久し振りに,少年時代の3歳から20歳までを過ごした滝の茶屋を訪れました.