口和郷土資料館


「音のふるさと 心のふるさと」、2016年04月16日


 「音のふるさと 心のふるさと」

 広島県の北部、三次市の東隣り庄原市の口和・永田にある口和(くちわ)郷土資料館を訪れました。

 此処は、蓄音機から、黎明期の音響機器(オーディオ関連機器)・映像機器(ビデオ関連機器)をメインに、映写機やジュークボックスなど多数の機器が「動態展示」されています。

  

 職場の先輩とともに、朝早く、中国自動車道経由で、庄原に向かいました・

 春日野道で、朝6時過ぎに職場の先輩と落ち合って、新神戸トンネルを通って箕谷から阪神高速北神戸線で、五社から六甲北有料道路、そして神戸三田ICから中国道に入って、ひたすら西へ・・・

 途中、揖保川PAで休憩、次が神郷PAです。


 春になって、一斉に芽吹く「萌え出る春」のようなシーンをPAで休憩しながら目にしていました。


 庄原ICを通り越して三次東JCTで松江自動車を北上して、口和ICから県道62号線を経て永田の集落へ。口和郷土資料館に到着したのは10時半ぐらいでした。神戸を出て約3時間半です。

 元々は、県立庄原格致(しょうばらかくち)高等学校の口和分校があった場所です。此処に分校が出来たのが1952年で、廃校が1980年です。そして1982年に口和郷土資料館がオープンとなったそうです。

 オープン当初は、地元の古民具や化石を展示していたようですが、現在は、 古い音響映像機器なども加えて展示を行っており、むしろそちらの方が全国的に有名になっているようです。

 古い佇まいの校舎が、そのまま残っています。


 タイムスリップして、昭和の「古き良き時代」に戻ったような錯覚をします。


 体育館もそのままで、現在は倉庫として使っているようです。


 校舎間は渡り廊下があり、トイレは渡り廊下の中間に位置する独立した建物です。


 入り口には古いポストが置かれています。


 瓢箪・・・庄原近辺は瓢箪が有名のようで、玄関や店先などに長い瓢箪を飾っているそうです。特に口和は全国的にも長い瓢箪があるそうです。


 入口です。外で靴を脱いでスリッパに履き替えます。入り口で記帳して・・・

 開館は月・木・土で、入場無料です。


 二階の南端の教室だった処が「映像・音声関連機器」の展示です。


 壁には時計、電話機、レコードプレーヤ、ラジオ、テレビ・・・


 そして奥にはテレビ、ビデオ、古いカメラも展示していました。


 入り口には電話機が並んでいます。


 その奥にはレコードプレーヤです。動態展示なので、実際にレコードをかけて、聴かせてもらえます。


 カセットテープレコーダが普及するのは1970年代以降でしょうか?

 それまでは家庭の音響機器は、ラジオとレコードプレーヤです。ポータブルタイプのレコードプレーヤが一般的でした。


 そしてラジオ、かなり古いタイプのラジオもあります。


 これは鉱石ラジオ


 そして真空管式のラジオです。

 左側は、教材用のラジオです。


 「教育用ラジオ」との銘板がありました。


 昭和時代の、ラジオ全盛時、昭和30年頃のラジオです。

 丸いのが「マジックアイ」です。同調を表示します。


 このような「ホームラジオ」は、残念ながら現在のラジオのラインナップから外れています。


 ポータブル型の真空管ラジオです。電池の性能が悪くて、1時間も持たなかったようです。外部電源で動作させていました。


 中波専用のホームラジオ、三洋電機製です。


ナショナル(現パナソニック)の短波と中波の2バンドのラジオです。


 ラジオとレコードプレーヤの複合機です。

 この後継機がラジカセで、そしてCDラジカセになって、今はCDラジオ、、そしてICレコーダとラジオの複合機が最先端なのかもしれません。もちろんスマートフォンでは音楽の再生とネット経由でラジオを聴くことも出来るので、こちらが今の主流派・・・ただラジオのリスナーが激減しているのが実態です。


 実際に音を出して聴かせてもらいました。木の枠で、中音が豊かな落ち着いた音でした。


 ラジオの列の裏側は、テープレコーダが並んでいます。


 初期のテープレコーダです。

 東京通信工業、現在のSONYです。

 この頃から、テープレコーダではなくてSONYは「テープコーダ」という名称を使っていました。


 SONYブランドです。


 可搬型、写真では見たことがありますが、実物を目の当たりにするのは初めてです。


 そして「カセットデンスケ」です。

 生録ブームを巻き起こし、一世風靡した名機です。


 これも実際に動かしてもらいました。


 3号リールの小型タイプのオープンリール方式です。

 その後カセットテープに置き換わって、一部はマイクロカセット、そして現在はICレコーダ・・・


 カーステレオの黎明期は8トラックが主流でした。

 その後、カラオケに使われるようになりましたが、カーステレオはカセットテープに置き換わり、カラオケはレーザディスクに置き換わりました。


 オープンリール式のテープデッキというよりも、アンプとスピーカがある「オープン・テープ・プレーヤ&レコーダ」、このような商品がラインナップされていたことは知りませんでした。当時はまだ、録音というとマイクだったのかもしれません。


 そしてCDプレーヤの1号機です。憧れでした。結局、14ビットD/Aを採用した廉価機を購入しました。この1号機の3分の1ぐらいの価格でした。


 これは家庭用ではなくて業務用のテープレコーダです。


 日本放送協会(NHK)向けの「録音再生機」

 東京通信工業製です。SONYのブランドは見当たりませんでした。


 JOFK,地元NHK広島放送局で使われていたようです。


 オーディオブームの頃のオープンデッキとカセットデッキです。


 カーボン式のマイクもありました。


 ラジオの列の次は・・・テレビです。


 動態展示なので、テレビ番組を見ることが出来ます。

 デジタル放送をアナログに変換して、VHFが2チャンネル、UHFが1チャンネルを有線でこの展示室内に分配しているようです。


 ソニーの小型テレビです。

 それまでは家庭の居間やリビングに鎮座していたテレビが、パーソナル志向となったシンボリックな製品です。


 当時の宣伝も展示されていました。


 ポータブルタイプの白黒テレビ、そしてカラーテレビ、どれも動態展示です。



 大きなテレビもありました。昔はライン入力がなかったので、ファミコンはVHFの1チャンネルか2チャンネルの高周波に変換してアンテナ端子から入力する必要がありました。


 テレビの列の裏側の列はVTR(ビデオレコーダ)です。

 初期のテープ式です。


 AKAI製のVTR、2つのリールの高さと角度が違います。


 SONY製のVTR


 これらも実際に動作させて、テープに記録されていた古い映像を見せていただきました。


 東芝・アンペックスのVTRです。


 これはカートリッジ式ですが、カートリッジを装着すると、内部のオープンに巻き取られる方式です。途中でカートリッジの交換が出来ず、内部のオープンリールのテープをカートリッジに戻してからでないとカートリッジを取り出せません


 船井電機もカセット式の独自規格もあったそうです。CVC方式のようです。


 家庭用のビデオカセットはベータとVHS以前に、各社がいろいろ開発していたようです。


 ご一緒した職場の先輩が開発・試作に携わったビデオカセットのテープとレコーダも展示されていました。


 先輩が持ってきて試作段階のビデオカセットと、展示されていた実際のビデオテープの製品です。


 職場の先輩は、以前、この製品の設計・開発に携わっていた頃の話も、今回はじっくりと聞かせてもらいました。


 オープンからカートリッジ、カセットと、VTRの歴史が一列になっています。


 そしてSONYのベータ方式の1号機です。最初のベータは録画時間が1時間です。


 モニターを挟んで反対側には、ビクターのVHS方式の1号機です。


 ベータ対VHSのビデオ戦争・・・はるか彼方の昔話になってしまいました。


 ベータの後継機で、VHS対策で2時間録再が可能になったデッキです。「チャンネルを回す」のではなくて、チャンネルボタンで選局するタイプになっています。


 放送用のビデオカメラもありました。


 池上の局用カメラです、かなり高価なカメラだと思います。


 CCD以前の「古い撮像管」のカメラも並んでいます。


 ビデオ編集機です。これは立体的な映像の編集が出来るそうで、これを使いこなして編集するのは、すごぐ技術が必要だったそうです。


 レーザディスクとともに、VHD方式のビデオディスクもありました。


 安部博良館長の丁寧な説明を受けながら3じっくりと「映像・音声関連機器」の部屋の展示を堪能しました。

 この後、また1階で、館長の説明を受けながら、映像関係、音響関係、そして修復室の中まで入れていただいた記事が続きますが、その前に2階の民具・農具の展示について・・・

  *

 2階の展示室は生活民具や生活用品の展示室が4つあります。


 昔の教室の机と椅子が廊下の傍らに置かれていました。


 階段も立派です。


 校舎と校舎のちょうど中間、渡り廊下の途中にトイレの建物があります。

 

 2階の展示室、古い電卓が並んでいました。


 和文タイプライターです。以前は和文タイプの内職もありましたが、ワープロの普及で、誰でも手軽に文章をタイプすることが出来るようになりました。


 此処の分校で使っていたのかもしれません。大きなそろばん、

 そして碁盤、小さな引き出し等、身近なものが並んでいます。


 此処の分校で使っていたような風速計、顕微鏡、ナンバーリングの機械等々も展示されていました。


 古い時代の駕籠です。


 生活に関わるような用品、昭和時代の中頃までのものから古いものまで・・・


 下は、氷を入れるタイプの冷蔵庫でしょうか?


 糸を紡ぐようなもの、身の周りの麦わらを用いたもの、いろいろな民具が並んでいます。


 一番北端の部屋では農機具を中心の展示していました。


 ・・・階段を下りて、再び、音響・映像関係です。館長の説明を受けながら・・・

  

 局用のテープレコーダです。もちろんオープンで、真空管式です。そしてステレオではなくてもモノラルです。ラジオ局用だったようです。


 早送り時は、カバーを開けてテープがヘッドに接触しないようになっています。


 隣にも2台、それぞれスピーカとVUメータが一つです。


 見るかに頑丈な業務用です。



 映画関連の光学系の映像システム、映写機もありました。


 アーク式です。35mmの映写機が2台あり、長編も連続して上映可能です。


 此処でも丁寧に説明していただきました。


 アークの光です。もちろん放電時は眩しすぎるので、電気を切った後です。

 溶接用の棒を使っているようです。


 移動上映用の35mmの映写機です。


 映写機の隣には、実際に上映できる部屋があり、椅子も揃えていました。


 スピーカはJBLです。実際にDVDで、古い映像をスクリーンに映して古い歌謡曲を流してくれました。


 山田洋次監督の映画「家族」のポスターです。このほかにもたくさんのポスターが貼られていました。


 廊下にはジュークボックスの機械が並んでいました。これも動態展示です。


 ボタンを押すと、選択したEPレコードが機械的に選ばれて、レコードが掛かって実際に鳴りました。結構良い音です。


 館長がご自分でメンテナンスされたそうです。


 これは、どのレコードが何回選ばれたかを機械的にカウントする装置だそうです。円盤のレバーがたくさん出ると、選択された回数が多いそうです。真ん中を押すとリセットできます。


 隣は国産のジュークボックスです。


 構造・仕組みは全然違います。


 特別に「修復室」に入れてもらえました。

 ※当日は、実際には修復室を真っ先に見せていただきました。


 配電盤・・・


 此処が、一番興味深かったです。お宝が山のように積んでいます。


 作業台です。羨ましい環境です。


 簡単な機械工作も可能です。


 エレクトロニクスの製品が処狭しと積まれていました。


 修復待ちの製品でしょうか?


 側面は映像・音響機器があり、現在作業中なのかもしれません。


 デンスケが無造作に椅子の上に積まれています。


 アマチュア無線もされておられるようで、430MHzのテレビ送信機だそうです。


 これはHFから6mの無線機、CQ誌に載せて反響が大きかったそうです。


 業務用のビデオカメラも並んでいます。


 これは3ブラウン管方式のカラーテレビだそうです。かなり珍しいものです。これも動態展示用に、修復中だそうで、特別に動作を見せていただきました。


 筐体に比べて画面は小さいですが、色は鮮明です。3つのブラウン管を光学的に合成して、この奥に映ります。正面から見るタイプです。


 丸く青いものがブラウン管の高圧のキャップです。3原色別々にブラウン管で表示させて、光学的に合成させる仕組みです。


 いろいろなエピソードを、お話いただきました。


 ほんとうに羨ましい作業環境です。


 最後にオーディオルーム、鑑賞室に案内されました。

 「球楽達人の集い」・・・これは真空管アンプを持ち寄って、この部屋で観賞会をされるそうです。


 チェンジャー付きのレコード再生機で、ラジオもついています。


 古いラジオが窓機側に・・・


 そして通信管(送信用)を用いた管球アンプです。


 正面には、古き良き時代の音響装置が並んでいます。圧巻です。


 SP盤を聴かせてくれるというので、SPを選びました。


 プレーヤにSP盤を載せて・・・


 迫力のある良い音でした。解説を聞いていると…真空管式のアンプの音だと思っていたのがゼンマイで回ってラッパで拡張する「蓄音機」で「電蓄」ではないということに気付いて・・・確かに振動を「管」で伝えるアームです。

 蓄音機が、こんなに迫力のある大きな音を奏でるとは知りませんでした。

 蓄音機というと、ビクターのマーク・・・犬がラッパの前で耳を傾げている光景から、蓄音機の音は、もっと小さな音だと思い込んでいました。


 いわゆる「蓄音機」らしい蓄音機です。


 真空管の音も聴かせていただきました。


 EPレコード、スピーカはJBLです。


 このあと、貴重な「径が40センチのレコード」を見せていただきました。


 FENで使われていたそうです。軍用のレコードです。先ほどEPレコードを掛けたプレーヤのターンテーブルからはみ出しています。


 違う40センチ盤も見せていただきました。半面だけカッティングされて、裏側は「RCA Victor]と書かれています。何故片面だけに記録されているのか?館長もご存知ではなかったです。


 此方が、アメリカのコレクターから譲り受けた、やっぱり40センチ盤です。


 いろいろな興味深い話も伺いながら、入場無料なのにコーヒを出していただきました。


 LENCOのプレーヤ・・・

 コーヒーと、更に話が弾んで話が長くなって、お茶もいただきながらLENCOのプレーヤでレコードを聴かせていただきました。


 中を見せてもらいました、垂直駆動です。



 口和郷土資料館の安部博良館長には、朝からお昼を挟んで3時間あまり、古き良き時代の機器だけではなくて、ご自身の貴重な経験や体験もお話いただき、有意義な時を、此処、庄原・口和で過ごすことができました。


 ほんとうに「音のふるさと」「こころのふるさと」です。

 ありがとうございました。


 オーディブーム全盛期の専門誌を飾ったような機器が、此処では現役で音を奏でてくれます。


  FENのアナウンサーをされていた窪田さんも、数年前に此処を訪れて、懐かしい40センチ盤を手にした写真、ちょうどこの部屋です。


 ご一緒した職場の先輩は「此処にあった方が良いので」と、持参されたご自身が開発に携わった独自開発のカセット式のビデオテープの試作品を館長に渡されていました。


 館内の見学途中に、携帯電話に緊急地震速報

「日向灘で地震発生」とのこと、此処は広島なので、このような緊急速報が入ったようです。


 自宅に戻って調べると、この時刻の地震は、熊本の地震で、離れた日向灘沿岸でも震度2だったようです。


 帰路、中国道で、何度も何度も西に向かう自衛隊の車両の群れとすれ違いました。救急車もサイレンを鳴らさず、中国道をひたすら西に向かう車両と何台かすれ違いました。