二条城


冬の京都・二条城、2016年02月07日


 久し振りに京都・二条城を訪れました。前回訪れたのが2000年12月ですので15年前になります。

 三宮駅で阪急・阪神 1dayパスを購入して神戸線の特急で梅田駅まで。そして京都線の特急に乗って・・・。梅田駅では10分毎に京都線と宝塚線と神戸線の特急・急行が同時に発車してほぼ同時刻に十三駅に着きます。3本の電車が淀川を渡る鉄橋に向かって並行して走っています。


 烏丸駅で降りて、徒歩で二条城に向かいました。途中、近道をしようと路地を歩いていると、「此附近 本能寺址」という石碑が建っていました。


 近くを見渡すと、此処は「中京区小川通蛸薬師下る元本能寺南町」だそうです。あの本能寺があった辺りのようです。

 ちょうど大河ドラマ「真田丸」が本能寺の変の頃のストーリーです。


 歩き回ると本能消防署があり、その敷地に「本能寺跡」の立派な石碑が建っていました。

 調べると本能寺は、応仁の乱で焼け野原となった京都復興に尽力した町衆の多くが法華宗門徒で、本能寺は繁栄していたそうですが、1536年(天文5年)の「天文法華の乱」で延暦寺の僧兵によって焼失したそうです。その後四条西洞院大路、油小路、六角小路、四条坊門小路(現・蛸薬師通)にわたる広大な敷地を得て大伽藍が造営されたようです。

 本能寺は、種子島に布教していた関係から、鉄砲・火薬の入手に関して織田信長との関係が深く、本能寺を上洛中の宿所としていたちょうですが、1582年(天正10年)明智光秀の率いる軍勢に包囲された「本能寺の変」で焼失し、その後秀吉によって移転・再建されたそうです。

 本能寺の変があったのは・・・この地になります。
 


 歩いていると雪が舞い始めました。二条城の外濠は、よく見ると一部氷が張っていました。

 東南隅楼です。


 二条城の外濠を巡ってジョギングする姿が見られました。


 東大手門から入城しました。東大手門自体は、現在修復中でした。


 二の丸御殿の入り口となる「唐門」です。記念写真を撮る人が絶え間な門の前に立っています。


 じっと待って、人が途絶えた一瞬に撮った「唐門」の写真です。唐門の向こうが二の丸御殿です。


 そして二の丸御殿です。

 御殿内は撮影禁止なので・・・写真はありません。

 御殿の入り口が「車寄」で、見学者は、ここでスリッパに履き替えて見学します。

 中は大きく、「車寄・遠侍」、「大広間」「黒書院」「白書院」の建物からなっています。

 「遠侍」は城へ参上した大名の控えの間です。

 「大広間」は将軍が諸大名と対面した部屋で、慶応3年(1867年)10月,15代将軍の徳川慶喜が大政奉還を発表した部屋です。

 「黒書院」は、将軍と親藩・譜代大名との内輪(の対面所だった場所です。現在は板張りでしたが、江戸期には畳敷きだったようです。

そして「白書院」は、将軍の居間・寝室だったところです。


 2つの鐘、二条城と、城の北側にある所司代との間の連絡に使われていた鐘だそうです。


 そして二の丸庭園です。

 二条城には二の丸庭園,本丸庭園,清流園の3つの庭園がありますが、江戸期にあったのは、この二の丸庭園だけです。


 大広間がある建物と、その南の松の木


 右が遠侍のある建物、そして左が大広間のある建物です。


 大広間方向から南西方向を見た二の丸庭園


 そして大広間方向からのから池の眺めです。


 こちらは黒書院から南方向の眺めです。


 黒書院から、大広間方向です。蘇鉄(ソテツ)の防寒養生が見えます。


 黒書院からの眺め、このアングルが落ち着いた光景のように思えました。


 白書院の西側辺りです。ちょっと落ち着いた趣を感じます。


  二の丸と本丸との間、内堀の近くの庭園です。


 二の丸から本丸へ向かう内堀に架かる「東橋」と、その向こうに楼門です。


 東橋の上からの内堀の眺め・・・


 楼門をくぐって本丸へ向かう道・・・


 そして本丸庭園です。明治天皇の命でつくられた庭園です。


 本丸の南西に天守閣跡があります。この石段の上部です。


 石段を上ると・・・本丸の建物と本丸庭園が見えます。



 真正面に本丸御殿と、その南の本丸庭園です、本丸御殿の中は公開されていません。


 天守閣跡からの西方向の眺めです。


 天守閣跡から北西方面です。内堀に架かる「西橋」が見えます。


 本丸御殿です。

 現在の本丸御殿は,京都御苑今出川御門内にあった旧桂宮邸の御殿を,明治26年から27年にかけて本丸内に移築したものだそうです。

 この旧桂宮御殿は京都御所にあった当時,仁孝天皇の皇女和宮が14代将軍家茂に嫁がれる前,約1年8ヶ月にわたって住まわれた建物だったようで、孝明天皇の仮皇居にも使用されたようです。


 西橋から眺めた内堀と本丸の石垣です。


 北中仕切門、重要文化財です。


 加茂七石の紫貴船石(左)と紅加茂石(右)です。


 加茂七石は、鴨川の上流の賀茂川や高野川の水系で採石された銘石で、八瀬真黒石・鞍馬石・畑石・糸掛石・紅加茂石・紫貴船石・畚下石(ふぐろいし)を言い、これら七石が一堂に揃って見られる石庭が此処・二条城の清流園です。


二条城の清流園は昭和40年につくられた庭園です。


 二の丸庭園や本丸庭園とは趣が異なります。


 この辺りは、河原町二条にあった旧角倉了以の屋敷の一部,庭石,庭木等を無償で譲りうけて移転したものだそうです。


 香雲亭と池・・・


 向こうに見えるのは和楽庵です。


 二条城内のみやげもの屋さんです。


 帰路は、堀川御池の交差点を南に、御池通りと四条通の中間ぐらいにある三条通り商店街を通りました。


 昔ながらの店舗もあります。和菓子屋さん


 ずっと三条通商店街を抜けると、阪急の大宮駅を過ぎるので、商店街の途中で南に出ると「トロン温泉」、京都の町中には結構、銭湯が残っているように感じます。


 会所・・・町内会の寄り合い所のような建物でしょうか?


 武信(たけのぶ)稲荷神社。

 平安時代の初期、清和天皇貞観元年(859年)2月、西三条大臣といわれた右大臣左近衛大将藤原良相(ふじわらのよしすけ)によって創設された神社。


 「近代医学発祥之地」の石碑がありました。

 江戸時代中期に設置された“六角獄舎”の跡地です。医学を学んだ 山脇東洋が, この六角牢獄で 刑死者の解剖を行い 実地に人体構造を観察したそうです。 杉田玄白が 江戸で同様の解剖を行う 17年前・・・


 大宮駅から阪急に乗って、梅田経由で高速神戸まで。阪急・阪神 1dayパス神戸高速鉄道もOKなので、高速神戸駅まで乗りました。JR神戸駅の構内に号外が張り出されていました。


 神戸駅のホームに上がると、ちょうど快速電車が出た後でした。でも電光掲示板には、次も快速電車です。それも「土山行き」という普段はない行先です。

 JR京都線で架線にビニールがまとわりついて遅れが生じているようで、加古川行きが土山行きと変更になったようです。