後楽園


日本三名園〜冬の好日、2016年02月25日


 金沢の兼六園,水戸の偕楽園,そして岡山の後楽園が日本の三名園と言われいます.3つの庭園とも訪れていますが,偕楽園は通り過ぎた程度で,訪れたことだけは覚えていますが,庭園を愛でた記憶はありません.兼六園は二度訪れた記憶があります.後楽園にも2〜3度訪れていますが,すでに十数年以上以前で,断片的な記憶しかありません.冬の好日,久し振りに後楽園を訪れました.


 第二神明・大蔵ICから加古川・姫路・太子バイパスを経て,龍野から国道2号線を只管西へ,船坂峠を越えて岡山県に入って,備前から剣道260号線を南下して岡山ブルーライン経由で岡山バイパスを通って・・・


 ちょっと岡山市内の最寄ランプを通り過ぎたようで,備前西市・米倉でランプを降りて,後はカーナビの指示通りに進んだのですが,十数年前のCDカーナビが表示する地図と現在の岡山市街地の道路とは違うようで・・・何度か迷いながら国道250号線の西端の交差点まで・・・国道250号線の東端は明石市の小久保交差点で明姫幹線の部分はよく利用するのですが,国道250号線の西端が岡山市内とは知りませんでした.


 岡山の路面電車が走る道路を北上して,後楽園通りを通って旭川を渡って後楽園の正面入り口の駐車場へ.オフシーズンの平日の朝で,駐車場は空いていました.


 後楽園は,岡山藩2代藩主池田綱政(つなまさ)が,藩主のやすらぎの場として1687年の着工,1700年に一応の完成をみせた庭園です.その後も藩主の好みで手が加えられたましたが江戸期を通して大きく変わることがなく現在に伝わっているそうです.


 江戸期の後楽園には、藩主のお客をもてなす場としても使われ,許しがあれば領民も入ることができたようで,能を好んだ綱政は自ら舞う姿を見せたこともあったそうです.藩主が参勤交代で岡山を留守にする間は,日を決めて庭を見せていたようです.


 明治維新後の明治4年(1871年)に池田家は「御後園」を「後楽園」と改め、明治17年には保存を目的に後楽園を岡山県に譲渡しています.


 正門から入って、ほぼ快晴の冬の平日、風は冷たかったのですが、陽射しは眩しいほどでした。


 園内の中央にある沢の池です.園内の中央に位置する大きな池で,池には3つの小島が浮かんでいます.


 沢の池の小島・砂利島越しに慈眼堂(じげんどう)裏手の杜


 そして藩主の居間である延養亭(えんようてい)です.園内外の景勝が一望できるように作られています.


 延養亭の正面です


 延養亭前から沢の池の眺め・・・歴代の藩主が延養亭から眺めた光景です.


 沢の池の北東に,腰掛茶屋がありますが,その辺りから岡山城方面の眺めです.


 同じ処から望遠で狙うと,沢の池越しに園内中央の築山・唯心山と岡山城が真正面に・・・


 慈眼堂(じげんどう)・・・1697年に池田綱政が池田家と領民の繁栄を願って建立し、中に観音像を祀ったそうです.今は空堂になっているそうです.


 慈眼堂の境内には、花崗岩を三十六個に割って組み上げた烏帽子岩(えぼしいわ)があります.


 慈眼堂から沢の池越しに,沢の池に浮かぶ「中の島」と岡山城の光景です.


 沢の池の東には,井田(せいでん)があります.昔は園内に広く田畑が作られていたそうです.


 井田とは中国周時代の田租法で、幕末に田畑の一部を井田の形に作りかえたそうです.


 井田の辺りから沢の池越しに中の島,その向こうに慈眼堂の裏の杜を眺める光景です.


 そして,同じ井田の辺りから沢の池越しに真正面に延養亭を望む眺めです.


 沢の池に浮かぶ中の島をアップに・・・


 唯心山の西側から北東方向・・・中の島と,その向こうに慈眼堂の裏の杜が正面となります.


 唯心山を囲む流れの中に置かれた石を渡ると唯心山に至ります.


 園内の築山・唯心山から北東方面に井田が見えます.


 唯心山の南,この向こうが蘇鉄畑になります.


 そして唯心山から沢の池を見渡した眺めです.


 唯心山から北東方面に,真正面に「中の島」,「御野島」そして慈眼堂の裏の杜,腰掛茶屋も見えます.


 唯心山の東には流店(りゅうてん)という建物の下に水の流れがある珍しい建物があります.流店方面に唯心山を下ると,水の流れの中に苔で覆われた石が美しく冬の陽光を浴びて輝いていました.


冬の陽射しの木漏れ日が流れの水面を照らして、苔の青が渋く輝いている光景を見ていると見飽きませんでした。


流店です。舎亭の中央に水路を通した簡素な佇まいの建物は、藩主の庭廻りや賓客の接待などで、休憩所として使われていたようです。


 水路には、色彩に富んだ奇石六個を配したいます。水面が陽光で照り輝いて、奇石がシルエットのように見えます。


 流店からは、お城がすぐ近くに聳えているように見えます。


 千入り(ちしお)の森、モミジが百本近くある森です。この時期は・・・見通しが良いです。


 千入りの森の南側には、桜林があり、その南には梅林があります。桜林越しに、梅の花が冬の陽射しで輝いている様子を遠景で楽しめます。


 後楽園の南東は梅林が早春の先駆けとして、此処だけ華やかでした。




 紅白、一重・八重と一面の梅の花が陽射しに輝いている中を散策・・・






 梅林の西には花交の池(かこうのいけ)、季節によっては、いろいろな花が咲き乱れることから、この名がついたそうです。


 後楽園のもっとも南に位置する茶祖堂(ちゃそどう)です。もとは利休堂といい、幕末の岡山藩家老の下屋敷から移築された茶室で、千利休を祀っていたのですが、その後、岡山出身で日本に茶を伝えた栄西禅師を合祀したため茶祖堂となったそうです。


 茶祖堂の西には蘇鉄畑が続いています。


 廉池軒(れんちけん)、池田綱政が園内でもっと好んで利用した亭舎と言われています。


 廉池軒の前には池、趣がある光景でした。


 後楽園の南西部にある花葉の池(かようのいけ)の周囲は、二色が岡(にしきがおか)という鬱蒼とした杜になっています。


 その杜の中に地蔵堂があります。


 二色が岡の中を歩いて花葉の池(かようのいけ)越しに見えるのが能舞台です。


 杜の中にある茂松庵(もしょうあん)です。


 花葉の池に架かる栄唱橋(えいしょうばし)です。


 花葉の池の畔には大立石(おおだていし)があります。大きな石を九十数個に割って、元の形に組み上げたものです。


 花葉の池越しに二色が岡の鬱蒼とした杜・・・


 園内を一周して延養亭です。

 帰路も岡山バイパスから岡山ブルーライン・・・岡山から吉井川を渡って、西大寺から邑久町までの直線の向こうに緩やかなカーブの先は一本松展望台附近の山道で、この辺りの風景が、ブルーラインからの車窓の中でもっとも好きです。


 片上湾をまたぐ橋を渡って備前インター近くの山陽マルナカに、海の駅風の売り場があります。


 平日でしたが、結構賑やかでした。