廃寺
下太田廃寺塔跡、2016年1月3日
正月3日目の日曜日、夜明け前のドライブ、国道2号線を只管西へ向かいました。 国道2号線は渋滞・混雑しているイメージがあって、明石から西に向かう時は、明姫幹線(国道250号線)や、旧・浜国道(県道718号)、或いは有料の第二神明道路や山陽自動車道を走っています。国道2号線を明石から西へ向かうのは数年ぶりかもしれません。 加古川の駅前、此処の2国を走るのは初めてではないように思うのですが、一歩通行になって並行する一歩通行の県道を加古川左岸まで走ることになりました。以前は反対方向(西から東)に走って、一歩通行に気が付かなかったのかもしれません。 更に西に向かって・・・姫路の市街地でも同様で、2国が一歩通行になって、此処も並行する一方通行の道路を走りました。車につけている古いカーナビでも一歩通行の表示になっていたので、加古川も姫路も十数年以上前からのようです。 そういえば、昨年の春に大阪の街歩きをした時に、大阪の街を南北に走る大通りも一歩通行だったことに気が付いたことを思い出しました。 更に西に向かって青山を通り抜けて姫路バイパスの太子東ランプ・・・ここで国道2号線は姫路バイパスの西方向の入り口へ向かう標識となっています。直進すると国道179号線となります。姫路バイパスの太子東ランプ以西は、太子・竜野バイパスで、国道2号線のバイパスなのですが、現在はこの区間は国道2号線の本道となっているようです。 結局、国道179号線(旧国道2号線)を西に向かって、太田の交差点を南へ、県道421号線を南に向かうと・・・途中に「廃寺」という案内板があり、興味を惹かれてUターンして、その方向に向かいました。 |
福永武彦の作品に「廃市」という小説があります。この作品は30年ほど前に映画化されたのですが、映画のロケで使われたのが福岡県の柳川です。地元では「廃市」というタイトルに拒否反応があったようですが、結局は「我が古里は廃市」と言われたそうです。まだ小説も映画も読んでいません。「廃寺」の案内板を読んで、そんなことが頭を過りました。 見渡す限りの田んぼの中に薬師堂があります。瓦や石が採集されて遺跡となったそうです。 |
この下太田一帯は、「播磨国風土記」の「大田里」だと言われています。呉勝を祖とする渡来人の移住があったようで、白鳳期(七世紀後半)に此処に寺が創建されたようです。 20年ほど前に姫路市が発掘調査を行い、「寺域は東西約117m、南北130m以上で、伽藍配置は南から塔、金堂、講堂が一直線に並ぶ四天王寺式である」ということがわかったとのこと。また、出土した瓦の年代観から7世紀後半から末に創建されたようで、9世紀後半以降に衰退したと考えられているそうです。 |
7世紀末には、大きな四天王寺式の寺院が此処にあったことになります。 |
朝の廃寺跡は、ただただ静かでした。時折、遠くから鳥のさえずりが聞こえる程度です。 |
礎石に建てられた小堂でしょうか?周囲は田んぼが広がっています。 |
井戸がありました。水は、うまく汲めませんでした。 |
周囲は、枯れた(ヒコバエ)が広がった田んぼ、しばしこの周辺を歩き回りましたが、今は静かな佇まいの田園風景・・・いにしえの大きな寺院が此処にあったことをイメージすることはできませんでした。 |
南に進むと、国道250号線の手前で単線の踏切・・・ |
山陽電車網干線です。飾磨ー網干間は単線です。そして終点の網干駅はこの近くです。終点の駅を見に行きました。 |
山陽電車の終着駅・網干です。残念ながら頭端式ホームではなかったです。 |
単線区間の飾磨駅との間だけで、姫路にも、明石・神戸にも直通の電車はありません。 |
近くの道路沿いに目立つオブジェ・・・思わずレンズを向けました。 |