堺筋


大坂街角ウォッチング_堺筋、2015年03月29日,30日


 堺筋は,天満天神(大阪天満宮)と天神橋北詰との中間ぐらい・・・天神橋筋の天神橋1丁目の交差点から西側に分岐して,難波橋を通って南北に走る通りです。

 大阪駅から歩くと・・・御堂筋を大江橋北詰まで行って,そこから堂島川右岸を上流(東)に向かって難波橋から南へ向かうルートになります。

 大江橋のひとつ上流(東側)には水晶橋が架かっています。


 その上流に難波橋です。難波橋は,堂島川,中之島,土佐堀川を越えて北浜と繋がっています。古い地図を見ると,中之島の中洲は,明治初期までは,現在の市役所辺りから下流までで,難波橋の辺りには中洲である中之島は存在していなかったようです。


 ちょっと遠回りになりますが,天神橋まで行きました。中之島はの東端はこの天神橋のちょっと上流側(東)になります。写真は,天神橋越しに中之島の東端の松の木を撮ったものです。


 天神橋です。天神橋の北詰から北側が天神橋筋となり,天神橋南詰から南側が松屋町筋となっています。この天神橋の上流側の左岸(南側)に八軒家浜があった場所です。昔の大阪の港であり,広沢虎造の名調子,清水次郎長伝の「江戸っ子だってね!鮨を食いねえ〜鮨を・・」のフレーズで有名な「石松三十石船道中」で船に乗るのが,この八軒家浜です。


 堺筋を歩くには,ちょと遠回りしました。北浜に向かう途中に,土佐堀川の左岸(南側)で東横堀川が分かれて,南に向かうのですが,その東横堀川に架かる橋のひとつに高麗橋があります。その高麗橋東詰に里程元標跡の石碑があることを偶然見つけました。天神橋まで遠回りした「怪我の功名?」です。八軒屋浜や大阪城,北浜,船場近くの旧・淀川の左岸のこの辺りは,昔の大阪の交通の「要」だったようです。


 これが東横堀川に架かる高麗橋です。


 西に向かって・・・難波橋の南詰に来ました。堺筋を離れてかなり大回りしてしまいました。


 難波橋南詰の北浜にそびえる大阪取引所です。


 雨が降ってきたので,北浜駅から堺筋線に乗って,翌日3月30日に此処から先の堺筋を歩くことになりました。

 北浜の三井住友銀行は立派な建物です・


 道修町の交差点にある旧小西儀助商店社屋です。重要文化財に指定されて坂筋沿いに立っています。明治期には,このような建物が軒を並べていたのが船場の商家の風景だったようです。


 堺筋は北向きの一歩通行です。大阪の街の地図を改めて見ると,碁盤の目のようになっている船場一帯は,大きな御堂筋,四ツ橋筋,堺筋を含めて一方通行でした。


 堺筋が中央大通りと交わる交差点です。


久宝寺の辺りは,小さな卸の店が軒を並べています。


 そして堺筋が長堀川を渡る長堀橋があった交差点。現在は南北の堺筋と東西の長堀筋が交わっています。

 長堀川に架かる長堀橋の「跡」(石碑等)を探しのですが,何も無いようです。


 長堀橋の交差点を長堀通りに西に向かって心斎橋筋を目指す途中に「鰻谷藤中橋筋」という看板を見つけました。昔,長堀川に藤中橋が架かってその南側の鰻谷と言う地名の南北の通り・・・と言う意味のようです。


 その西側に鰻谷三休橋筋という看板もありました。長堀通りに「三休橋」という交差点名が残っており,長堀橋に架かっていたいた三休橋の南側の通りのことのようです。


 大坂の船場には,東西に堀があり,そこに多くの橋が架かっていた名残が地名や交差点に残っているのを,歩きながら実感しました。