御堂筋


大坂の町歩き・・・御堂筋、2015年03月26日〜28日


 教員免許更新講習の会場が心斎橋で,JR大阪駅より御堂筋を歩いて心斎橋に向かいました。3月26日は東側の歩道,3月27日は西側の歩道を歩きました。また3月28日は心斎橋より難波駅まで御堂筋を歩きました。

 JR大阪駅御堂筋口です。此処から歩きはじめました。歩道橋の階段を上って・・・


 大阪駅前の歩道橋の上から見渡した光景です。右から・・・駅の北側のヨドバシカメラ梅田店,その左がJR大阪駅,そして大阪駅のステーションデパートである大丸梅田店,そして丸みのある阪神百貨店,御堂筋を挟んで写真左が阪急百貨店梅田本店となります。


 「御堂筋」の北端は,梅田の阪神前交差点になります。大丸梅田店,阪神百貨店,曽根崎警察,阪急梅田本店を取り囲む大きな交差点になります。


 梅新(梅田新町)の交差点までの200メートルぐらいが国道176号線で京都・宮津に至ります。この部分の御堂筋の東側には,「お初天神通り」というアーケード商店街があり,浄瑠璃の遊女「お初」と手代「徳兵衛」の心中物語で有名な神社です。


梅新の交差点は,東西には,東が東京からの国道1号線の終点で,西が下関に至る国道2号線の起点,そして南北には,北が,宮津に至る国道175号線の起点であり,南が三重・四日市からの国道25号線の終点であり,和歌山に至る国道26号線の起点(重複区間)となります。



 梅新の交差点の南には三叉路があり,新御堂筋と合流します。この梅新南の交差点の東には,いつも複数の警官が警備している建物があります。アメリカ総領事館で,なんとなく物々しいです。


 新御堂筋は京都・亀岡市に至る国道423号線です。ここが新御堂筋の終焉で,写真の奥には堂島川が流れ,大江橋が架かっています。


 梅新南の交差点の西側は北新地となり,夕方から賑やかになる一角です。


 堂島川に架かる大江橋です。梅田から御堂筋を歩いて中之島に行くには,この大江橋を渡ることになります。


 中之島は,旧・淀川の中洲で,この辺りは大きな中洲となっているので,北側の流れが堂島川,南側の流れを土佐堀川です。中之島には大坂市役所があります。この建物・・・。この西には日銀の古風な建物が向かい合っています。


 中之島の南,土佐堀川に架かる淀屋橋です。この南に京阪の淀屋橋駅があり,祇園に近い京都四条や下鴨神社や京大に近い出町柳をつないでいます。


 御堂筋・・・幅が広く,中央分離帯もありますが,南向きの一方通行です。此処を車で走ったことはないですが,交通量が多いので,車線変更に停車して互いに譲り合う場面を何度か見ました。


1937年の拡幅工事で,新橋(長堀川)、道頓堀橋(道頓堀川)が架橋されたそうで,それまで淡路町から博労町までが御堂筋と呼ばれていたのが,現在の形になったそうです。


 北御堂・・・本願寺系のお寺です。もともと御堂筋は,この北御堂と中央通りの南にある南御堂とを結ぶ南北の道のことだったそうです。


 南御堂の南側には難波神社がります。


 この難波神社の祭神は,仁徳天皇です。日本で最初に大規模な工事を行った天皇と言われ,上町台地の難波高津宮に遷都して,大阪の礎を築いた天皇でもあります。人家の竈から炊煙が立ち上っていないことに気づいて,3年間租税を免除して、その間は倹約に努めたという逸話が子どもの頃に聞いた記憶が鮮明に残っています。


 難波神社の南が博労町(ばくろうまち)です。昔風に言えば船場博労町になります。東京には日本橋馬喰町(ばくろちょう)があり,「漢字」も「読み」も異なりますが,古い城下町には見られる地名です。


 長堀通りと交差する新橋から南の眺めです。長堀通りは,元々「長堀」という堀が流れ「新橋」という橋が架けられていたのですが,堀は埋め立てられ,現在は交差点の名前として残っています。

 新橋の南には「御堂筋大丸前」の交差点があり,大丸心斎橋店が御堂筋と心斎橋筋の間に立っています。


 御堂筋を歩いて・・・一番目立つ建物が,この大丸心斎橋店でした。


 大丸神戸店には,このような車寄せがあったかなあ〜と記憶を辿っても思い出せません。


 大丸と御堂筋を挟んで西側には,大きなリンゴのマークのアップルストア―があります。外観はシンプル・・の一言です。・


 そして,道頓堀に架かる道頓堀橋です。この東側の「戎橋」が心斎橋通りで,グリコの看板で有名ですが,道頓堀橋は,とても地味・・・でも御堂筋の交通量の多い通りの橋です。