高取山と山田村


高取神社・西舞子、2015年2月28日


 通勤の行き返りの車窓から目にすることが多い高取山,

 同じ神戸の市街地の北側に連なる摩耶山や六甲山は,車でドライブしたり,ケーブルカーやロープウェイを利用して山上に行くことはありますが,高取山は,車で山上に行くことが出来ず,またケーブルカーもロープウェイもないので,自らの足で登るしかありません.

 小学生の時以来,高取山に登ることがなく,電車の車窓から眺めるだけでした.


 今日,久し振りに高取山の山上を目指しました.高取山の登山道は,山上にある高取神社の表参道となる西山町(長田小学校の北側)からのルートです.西山町の住宅地の中は,坂の傾斜が大きく,山道に入る前に息が荒くなりました.


 住宅地の端から雑木林の中の山道・・・登山道になりますが,高取神社の表参道で舗装か石畳の階段で,手すりが続いています.


 「営林署」のプレートを見掛けましたが,高取山の南東部分は「梅の木林国有林」になっており,高取神社の表参道は,その南縁に沿っている感じになっています.

 その梅の木林国有林の中を通って高取山山頂へ至るルートもあるようです.

 清水茶屋の建物の南側で三叉路になっており,西代駅から高取台中学校の横を通る最短ルートと合流しています.

 清水茶屋の北側で,石の鳥居の向こう側に急な石段があり,鳥居には「〜〜大菩薩」と読める神社がありました.立ち入り禁止で石段には落ち葉が積もっていました.「南無八幡・大菩薩」という祈願の文句がありますし,八幡神を「八幡大菩薩」とも言いますので,神仏習合(しんぶつしゅうごう)の名残かもしれません.


 この辺りは天照皇太神社をはじめ,たくさんの神社がありました.これは石切り神社です.


 中の茶屋を超えて,高神の滝へ至るルートの分岐点・・・こちらの高神の滝へのルートは,表参道とは違って,ほんとうの山路のようです。


高神の滝へ至るルートの分岐点を超えて安井茶屋です.かなりレトロな雰囲気を醸し出しています.


中の茶屋の奥には,ちょっとした広場があり,滑り台とベンチが垣間見えました.


だいぶ高度が高くなって・・・高取山の南東方向,神戸の市街地方面です.町中に木々が生い茂る小山が見えますが,これは会下山です.


そして月見茶屋,ガラス戸越しに中を見ると・・・テーブルにビール瓶が並んで幾人かの登山の服装をした年配の方々が談笑していました.


 月見茶屋のすぐ先に,高取神社の鳥居があり,「ここから神域」との看板が立っていました.

 ここまでの山道では麓の高校の陸上部が山道を走ってトレーニングをしていましたが,ここでUターンです.神域では山道を走ることを禁止する旨の看板がありました.


 鳥居が続くこの階段の上が高取神社の本宮です.


 配電系統の電柱がここまで続いています.

 電柱のプレートが「タカトリヤマ 49」とあります。地上から49本目の電柱ということでしょうか?


 そして高取神社の本宮です.


 高取山は,古くは「神撫山(かんなでやま)」と呼ばれ、古来からの信仰の山だったそうです.登山道には多くの社祠石塚が見られましたし,山頂一帯と山腹の一部は、高取神社の境内地となっています.

 
 高取神社の由来は,神功皇后が世の中の安泰を祈願なされて「武甕槌尊(たけみかづちのみこと)」を祭ったことが高取神社の始まりのようです.

 その後兵庫の築港を行った行基が,兵庫の津から仰ぎ見る高取山に守護神として「豊受姫命(とようけひめのみこと)」を祭ったことが「高取稲荷大神」の始まりのようです.この二柱を併せ奉って「高取大神」となるようです.


 本宮の前は展望台になっており,これが電車の車窓から見える大きな構造物だったようです.

 本宮から,さらに階段を上ると高取山山頂奥の宮となります.


 階段の真正面が金高神社です.


 振り返ると・・・神戸の市街地が一望できます.


 奥の院から更に階段が続いています.


 この階段の上が高取山山頂となります.


 山頂に「備中 白芳大明神」の石碑がありました.

 江戸期には,摂津国八部郡には備中松山藩(高梁藩)の所領があったようですが,高取山の麓に所領があり,高取山の山頂に「備中 白芳大明神」を祀っていたのかもしれません.


 奥の院から見た,本宮とをつなぐ石段です.背後は・・・長田から須磨の街並みです.


 長田神社の西にある街中の小山である観音山です.高取山から見ると,小さく見えます.観音山の北側は長田高校のグランドになっています.かなり広大なグランドです.


 下り・・・月見茶屋,安井茶屋を経て,安井茶屋の南の分岐点から高神の滝を目指しました.高取神社の表参道を外れると,ほんとうの山道となります.


 そして高神の滝(瀧)です.


 更に山道を下って・・・高取山町という住宅に至りました.高取台中学校の西側です.



 ここから南東に向かえば・・・西代駅なのですが,途中で南に向かう道へ入ってしまって,迷ってしまいました.五位ノ池町4丁目から西側に向かう坂道を下ると五位ノ池小学校がありました.その近くに「姫路工業大学発祥の地」の石碑がありました.


 姫路工業大学の前身である兵庫県立高等工業学校は1944年(昭和19年)に神戸市長田区に設置とありますが,ここ神戸市長田区五位ノ池町だったようです.

 その後戦後の1946年(昭和21年)に姫路市伊伝居(現在の兵庫県立姫路工業高等学校)に移転し,1949年の新制の新制姫路工業大学が発足し,1970年(昭和45年)に現在の姫路市書写にキャンパスを移転し,その後改組によって,姫路県立大学工学部となって現在に至っています.



 西代駅を目指したのですが,迷ってしまって,結局板宿駅の近く・・銀映通り商店街と新町通り商店街の交わる処です.


 板宿は,板宿本通商店街しかイメージできませんでしたが,銀映通り商店街,板宿中央商店街,板宿センター街商店街,新町通り商店街,板宿市場(板宿公認市場,板宿連合市場,板宿南部市場,板宿きたいちば)が縦横無尽につながっています.


 湊川や水道筋もたくさんのアーケード商店街や市場がつながっていますが,板宿も結構活気があります.


 その中に,六間道商店街にある肉のデパート「マルヨネ」がありました.


 六間道の本店と違って,ここでは豚足の「後ろ足」と「前足」が別々に売っていました.

 ミミガーとモツ煮込みを買ってしまいました.


 震災直後に山陽電車は地下化してしまいましたが,以前はここに山陽電車板宿駅があり,板宿本通商店街の入り口には踏切がありました.今は線路跡が道路になっています.


 山陽電車の「垂水・舞子1dayチケット」を購入したので,乗り降り自由の西の端の駅である西舞子駅に向かいました.

 山陽電車はダイヤが変わって,昼間は須磨駅で特急待ちの接続がなくて,普通電車は霞ヶ丘駅で通過待ちとなるようです.到着した下り普通は阪神電車の車両で隣の東須磨駅どまり.東須磨駅始発の姫路行の普通に乗り換えました.


 久し振りの西舞子駅です.学生時代は通学で使っていましたが,卒業後に西舞子駅で乗り降りするのは初めてかもしれません.


 無人駅で自動改札になっていました.


 JR神戸線の高架下に西舞子駅の出入り口があります.駅前の華やかさは・・・昔も今もありません.


 以前は駅前商店街で,商店が連なっていたように思うのですが,今は住宅地が並んでいます.


 老舗の和菓子屋「大美堂」はしっかりと営業していました.その隣には垂水の商店街にもある「ミカゲヤ」です.


 舞子台8丁目の交差点です.現在は移転していますが,母校がここ(写真の左側の坂を少し上った処)にありました.真正面の建物の向こう側にダイエー舞子店があります.この建物の場所には,数年前までガソリンスタンドがありました。


 ダイエー舞子店は,車で横をよく通りますが,中に入るのは久しぶりでした.


 舞子台8丁目の交差点の北西側にあるラーメン屋「大連」,学生時代よく通いました.

 今は大将ではなくて奥さんが切り盛りをされているようです.


 西舞子駅に戻って・・・国道を挟んで南口,かつての山田村の中心だった処です.大正期前後に山田村の中心をぶった切るように山陽本線の複々線,山陽電車の複線,国道2号線が通って・・・国道の南側は住宅地が広がっています.


 西舞子駅南口の前には,旧・山陽道の道標があります.今は舞子六神社の前,舞子漁港の前を通る住宅地の中の道です.以前は,この辺りに山田小学校があり,明治22年の町村制施行によって塩屋村,東垂水村,西垂水村,山田村,下畑村,名谷村,多聞村(ほぼ現在の神戸市垂水区の区域)の7つの旧村が合併して,新村・垂水村(明石郡垂水村)が誕生した時に,村役場があったのは,この辺りです。此処には山田小学校があったそうです。

 その後,村役場は垂水海神社の近くに移ったようです。昭和3年に垂水村は町制施行によって垂水町(明石郡垂水町)となって,昭和16年には神戸市に編入して,神戸市須磨区となり,昭和21年に,垂水町だった区域が「神戸市垂水区」となりました。


 舞子六神社の本殿が改修して,スッポリと覆われていました。


 西舞子駅に戻って・・・このホームで電車を待っていた学生時代から,もう何年も月日が流れたんだなあ〜と・・・


 霞ヶ丘駅で特急通過待ちをするので,舞子公園駅で降りて,次の特急を待ちました。

 舞子公園駅の西側には鉄橋があって,この下をJR神戸線が通っています。此処で併行している山陽電車とJR神戸線とがクロスしています。

 この鉄橋は,以前は塩屋駅の東側にあったものを移設したような話を聞いたことがあるのですが,記憶があやふやで,定かではありません。


 山陽電車の「垂水・舞子1dayチケット」は,山陽バスも乗り放題です。

 山陽バスの1番系統・・・霞ヶ丘巡回バスに久し振りに乗りました。

 この路線は,結構最近まで車掌が乗っていました。隘路で,対抗車とのすれ違い等々で車掌が必要だったようです。バスも2回りぐらい小型です。

 垂水坂を上って霞ヶ丘に向かいます。