神社・教会巡り in 神戸
神戸市街地の神社・教会・モスク、2015年02月15日
神戸には,生田神社,長田神社,敏馬神社という古い神社があり,また明治天皇の命によって創建された湊川神社,そして生田裔神八社(えいしんはちしゃ)という生田神社を囲むように一宮神社から八宮神社の八社が神戸の市街地に点在しています。 また神戸は,横浜と並んで幕末から明治初期にかけて開港したことを切っ掛けにしてキリスト教の教会も数多くあります。 生田裔神八社をベースに,神社・教会巡りをしました。 * JR神戸線・神戸駅で降りて,駅の西側,国道28号線沿いに湊川神社があります。楠木正成を祀る神社で,ここに楠木正成の墓があったそうです。元禄5年(1692年)になり徳川光圀が「嗚呼忠臣楠子之墓」の石碑を建立し,幕末には維新志士らによって祭祀されるようになっていたそうです。 |
慶応3年に尾張藩主徳川慶勝により楠社創立の建白がなされ、明治元年(1868年)、それを受けて明治天皇は大楠公の忠義を後世に伝えるため、神社を創建するよう命じ、明治5年に創建された神社です。 |
神社の北側には神戸中央体育館となっています。 |
中央体育館の北は,大倉山となり,その少し東・・宇治川が暗渠となる処の近くに生田裔神八社のひとつ・八宮神社があります。 |
祭神は,熊野杼樟日命(クマノクスビ)と素盞嗚尊(スサノオ)です。坂本村の鎮守社でした。 |
八宮神社には六宮神社が合祀されています。楠高等小学校(現・湊翔楠中学校)の建設のために八宮神社に移転・合祀となったそうです。六宮神社の祭神は,天津彦根命(アマツヒコネ)と応神天皇です。 |
宇治川の流れが,ここから暗渠となります。暗渠となって宇治川商店街,元町商店街の西端付近を通って,神戸中央郵便局前からハーバーランドの北端辺りに河口があったようです。 ここは暗渠の手前の調整池・・・大雨で水量が激増すると,ここに水が溜まるようです。 |
大倉山の東側を宇治川が大きな弧を描いて流れています。 |
先程の宇治川の流れが南に大きく変わる処を真っ直ぐ北に向かうと,山麓線の平野の交差点の東側となって,さらに坂道を上ると五宮町です。 レトロな表示がありました。 |
鍋蓋(なべぶた)山・再度(ふたたび)山の山麓近くに八宮神社は位置します。 |
祭神は天穂日命(アメノホヒ)です。奥平野の産土神で,神功皇后が、三韓へ行かれた帰りに巡拝されたと言われています。 |
巨木が坂道に出っ張っていました。 |
山麓線のバス道に戻って東へ・・・古いタイプの商店がバス道に点在しています。 |
大倉山の東で,東から西への流れが南へと向かっていた宇治川の上流です。山麓線の辺りで,北からの流れが西へと向かいます。川の左岸(写真の右)は神戸山手大学・山手短期大学ののキャンパスです。 |
諏訪神社に向かって,この宇治川沿いに北へ山道を上って行くと・・・山手女子高の横を通って・・・ |
再度山の登山道となりました。道を間違えたようです。急な坂道を上って,汗だくになったので,此処でジャンパーを脱いで坂道を下って,もとの道を戻りました。 |
諏訪山の麓にある諏訪神社の鳥居です。諏訪神社は,この坂道のずっと上のようです。鳥居の辺りは諏訪公園で,此処には動物園がありましたが,それが王子公園に移転して(現在の王子動物園),現在は諏訪山公園となっています。 |
急な坂道を上って・・・まだこの先には石段が続くようです。 |
この石段の上のようです。ジャンパーを脱いだのですが,汗ばんでしまいました。 |
仁徳天皇の皇后である八田皇后の離宮鎮護神として建てられたそうです。 生田神社と長田神社の中間に位置することから、古くは中宮と称されていた。ようです。 祭神は,建御名方大神(たけみなかたのかみ),比売神(ひめがみ),そして先週訪れた京都伏見稲荷の主祭神である宇迦之御魂大神(ウカノミタマノカミ)が後から祭神として加わったようです。 |
華僑の方々の木札がありました。これはいったい何なのか・・・?わかりませんでした。 |
金星台と呼ばれる高台からの神戸の市街地と港の眺めです。 |
金星台の由来は,1874年にフランスの天体観測隊が、金星の太陽面通過の観測をこの地で行ったことに起因するそうです。この上にある諏訪山展望台を繋ぐ螺旋橋の愛称は・・ヴィーナスブリッジです。 |
諏訪山から南に下って・・・県庁の西に四宮神社があります。ビルの狭間に境内があります。 |
祭神は,市杵島姫命(イチキシマヒメ)です。スサノオの剣から生まれた五男三女神(うち、三女神を宗像三女神という)の一柱です。 |
四宮神社と道を隔てて向かい側に日本聖公会の聖ミカエル教会があります。此処は神戸教区主教座聖堂となります。 |
更に西側には,摂津第一公会を起源とする日本最古級のプロテスタント教会である日本基督教団 神戸教会があります。 |
此処は会衆派の教会です。 |
県庁を挟んで東側には,日本キリスト教団の神戸栄光教会があります。こちらはメソジストの流れのプロテスタント教会です。 |
兵庫県公館・・・元々は,此処が県庁の本庁舎でした。県の迎賓館のような処です。淡路島のチューリップが鮮やかに咲いていました。 |
中庭を中心とする回廊式の壮麗なルネサンス建築の建物です。 |
三ノ宮駅の東・・・二宮商店街です。この辺りは車で通り過ぎるだけで,歩き廻るのは,初めてです。 |
二宮商店街の東に二宮神社があります。 祭神は,天忍穂耳尊(アメノオシホミミ)と応神天皇です。 |
アメノオシホミミは,正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命(マサカツアカツカチハヤヒアメノオシホミミ)と古事記では表わされており,アマテラスとスサノオとの誓約の際、スサノオがアマテラスの勾玉を譲り受けて生まれた五皇子の長男(『日本書紀』の一書では次男)で、勾玉の持ち主であるアマテラスの子となっています。 |
二宮神社から西へ・・・加納町三丁目の交差点を超えて・・・此処は元々生田川が流れていました。古い地図を見ると,この辺りに明治の初期には外人向けの競馬場があったそうです。 |
加納町3丁目の交差点の西に一宮神社があります。 |
祭神は,田心姫命(タキリビメ)で,宗像三女神の一柱です。沖ノ島の宗像大社より勧請したようです。 |
社殿は戦後に,奈良県大柳生村の山口神社の境内社である戸隠神社を模したそうです。 |
一宮神社の北に,神戸ハリストス正教会(生神女就寝聖堂)があります。東方教会の教会です。 |
1913年に平野祇園町に会堂が建てられたそうです。現在地には1952年に移転したそうです。 |
北野の異人館通りにある神戸バプテスト教会です。 戦後,米国南部バプテスト連盟の宣教師による伝道で建てられた教会で,戦争で焼け野原になっていた旧小磯良平邸宅跡地を、クリスチャンであった小磯家から譲り受け、 1952に建てられた教会堂です。 |
カトリック神戸中央教会です。此処は,阪神淡路大震災の後に,中央区の3つの教会(灘、中山手、下山手)を廃止して、神戸の教会の「新生の要」として建てられた教会だそうです。 |
ひじょうに大きな教会堂ですが,周りに建物が密集して,道も狭く,うまく写真が撮れませんでした。 |
カトリック神戸中央教会を西に向かうと,イスラム教寺院の神戸ムスリムモスクがあります。ムスリムとはイスラム教徒のことだそうです。 |
1935年(昭和10年)、神戸在住のトルコ人、タタール人、インド人貿易商らの出資により建てられた日本で最初のモスクとなるそうです。 |
旧西国街道(山陽道)だった道です。其処に大きな鳥居が見えます。生田ロードの南端です。 西国街道から生田神社への参道が,この鳥居の北側で,それが現在の生田ロードです。 |
真正面からの旧・西国街道沿いから生田神社への参道の入り口となる鳥居です。 |
JRと阪急の高架を超えて,生田ロードは続いています。写真の奥に生田神社の境内の鳥居が見えます。 |
東急ハンズと生田東門商店街の間の道の正面に生田神社があります。 |
日本書紀の記述によると,201年に神功皇后の三韓外征の帰途、現在の神戸辺りで乗っていた船が進まなくなったそうです。 神占を行うと稚日女尊(わかひるめのみこと)が現れて「吾は活田長峡国に居らむと海上五十狭茅に命じて生田の地に祭らしめ。」との神託があって創建されたそうです。 |
元々,生田神社は,布引山に祀られていたそうです。 799年(延暦18年)4月9日の大洪水により砂山の麓が崩れ、山全体が崩壊するおそれがあったために,現在の生田の森に移転したそうです。 祭神は稚日女尊(わかひるめのみこと)です。天照大神の幼名や妹という説があります。 |
社殿の奥には生田の森が,少しだけ残っています。その中に「さざれ石」が置かれています。 |
生田ロードの西に,トアロードが南北に走っています。旧居留地と,北野にあったトアホテルを結ぶ道としてトアロードと言われるようになったそうです。 その旧居留地の北の端・西国街道に面して三宮神社があります。 |
祭神は,湍津姫命(タギツヒメ)で宗像三女神の一柱になります。 |
慶応4年に、三宮神社前の西国街道で備前藩の武士と外国兵の衝突が発生し,明治政府初の外交事件となりました。これが神戸事件です。 |
三ノ宮神社の南西には大丸神戸店があります。 |
大丸と元町商店街の間,鯉川筋には,大きなスクランブル交差点があります。 |
鯉川筋を北に向かうと・・・JR神戸線の元町駅となります。 |
神戸の市街地の神社や教会を巡って,活動量計は・・・ ・歩数:24754歩 ・歩行距離;19.1km ・階段;950歩 早歩き:16030歩 ・活動カロリー:1113kcal ・総消費カロリー:2686kcal ・燃焼脂肪:69.6g |