この1年の近況


2013年の1年間を振り返って・・




 1月3日に大阪・大正区を訪れました。古いテレビドラマ「ラストゴングが鳴るまで」(出演:壇ふみ,中井貴一,植木等,河合奈保子,泉谷しげる)が好きで,一度訪れたいと思っていました。

 朝の連続テレビ小説「純と愛」の舞台にもなっています。三軒家公園は,日本で最初の近代的な紡績工場である「大阪紡績」の工場があった跡地だそうです。

 その後リトル沖縄と呼ばれている処まで行きましたが,正月3ヶ日で,街はシャッターが閉まっていました。


 1月12日に堺へ行きました。御堂筋線で府立大には行ったことがあるのですが,堺の街は初めてです。

 日露戦争の前に召集され、旅順攻囲戦に予備陸軍歩兵少尉として従軍していた弟を嘆いて詠った「君死にたまふことなかれ」の一節です。

 堺の街のあきびとの
 旧家をほこるあるじにて
 親の名を継ぐ君なれば
 君死にたまふことなかれ

 その旧家・老舗の和菓子屋「駿河屋」の跡を訪ねました。

 そして千利休の邸宅跡も・・・



 堺から帰路は,阪堺電車で新世界まで,路面電車からの車窓を愉しみました。


 大学でご一緒だった方から演奏会の招待を受けて,西宮の県立芸術文化センターに行きました。舞台を客席が取り囲むようなアリーナ形式の素敵なホールでした。

 招待いただいた方の演奏はミヨーの「スカラムーシュ」,モリエールの喜劇によるこどものためのドラマ「空飛ぶお医者さん」のための付随音楽より2台のピアノ用に改作したものだそうです。冒頭から激しくて活発な音楽で、「空飛ぶお医者さん」ってどんな劇なんだろうなあ〜と想像しながら聴いていました。


 1月27日に,播磨町の大中遺跡へ行きました。数年前に此処に考古博物館がオープンしたのですが、気になりながら今まで訪れていませんでした。


 2月3日に坂越(赤穂市)と室津(たつの市)を訪れました。坂越湾に浮かぶ生島には秦 河勝(はた の かわかつ)の墓があります。

 河勝は秦氏のリーダで、聖徳太子のブレーンとして活躍したそうです。河勝は猿楽の創始者祖であり、観阿弥・世阿弥親子も河勝の子孫を称しています。風姿花伝にも名前が出てきます。楽家として知られる東儀家は河勝の子孫と言われています。

 生島を望む坂越の高台にある大避神社は,秦河勝を祀っています。


 2月20日は,神戸高校の課題研究発表会に参加しました。総合理学部がSSH(スーパーサイエンスハイスクール)の指定を受けて2年生で課題研究をしています。課題研究発表会は2回目です。

 ポスターセッションで説明と質疑応答の後に,オーラルのプレゼンテーションもあります。内容も,高校生とは思えない本格的な研究発表です。


 3月3日,京都・嵯峨野の仏野(あだしの)辺りを散策しました。

 化野念仏寺…

誰とても 
 とまるべきかは
あだし野の

草の葉ごとに 
すがる白露

 西行


「海を見ていた午後」という古い唄・・・荒井由実(松任谷由実)の「MISSLIM」というアルバムに収められていた唄で,この唄を耳にして,急に横浜に行きたくなりました。

  あなたを思い出す。 この店に来るたび
  坂を上って きょうもひとり来てしまった。

  山手のドルフィンは 静かなレストラン
             荒井由実

 根岸駅から,急な坂を上って,実際にドルフィンに・・・


 横浜行きのもう一つの目的は,東横線の渋谷駅の見納めです。東京メトロ副都心線との相互直通運転の1週間前でした。この大きなターミナル駅は,今はもうありません。


 2年前に雑司ヶ谷墓園を訪れたのですが,漱石の墓を見つけることが出来ませんでした。今回は事前に確認して,都電荒川線に乗って・・・

 雑司が谷駅の向こうに池袋のサンシャインシティーが見えます。3年間,池袋に通っていましたが,当時は漱石の墓を訪れようと思ったことはありませんでした。此処から当時の勤務校まで徒歩十数分の距離です。


 漱石の墓です。小説「こころ」の中で先生が,友人のKの月命日にお参りしていたのが雑司ヶ谷です。


 足を延ばして,鎌倉と江ノ島にも行きました。江ノ電が路面を走る区間の町並みを車窓から見ていて,一度歩いてみたいと思っていました。

 寅さんのロケ地にもなった鎌倉高校前駅でも降りて,映画と同じように湘南の海を眺めました


 銀座は歩行者天国で,山野楽器の前辺りで凄い人だかり…銀座4丁目のプレートの上に猫が居て,みんなスマホや携帯で撮っていました。ちょっと不思議な光景・・・


 秋葉原のラジオストアーです。ここは総武線の高架下になります。11月末日で閉館となってしまいました。すでにラジオ会館も閉館して,よく通っていた処がなくなるのは,寂しいです。



 3月16日に,感覚をつないでひらく芸術教育を考える会に参加しました。今回は、研究発表と絵本ミュージカル、そして兵教大の院生による4つのパフォーマンスとワークショップというプログラムでした。

 NPO法人生涯音楽アカデミーと楽笑音楽広場のお二人の方の「絵本ミュージカル」は迫力がありました。


 3月18日,旧居留地にある「らんぷミュージアム」が休館するとのことで,久し振りに訪れました。関西電力の資料館で,「灯り」がテーマです。

 古代の松明(たいまつ)から,ロウソクや灯油を使ったランプ,そして電灯・・・結構見応えがあります。


 この4月に甥の就職と姪の入学が重なります。3月23日は「Wお祝い」で,写真館で写真を撮って,神戸吉兆で食事をしました。ゆったり食事ができました。


3月の最後に,大阪の街を探検しました。大阪は、縄文時代の縄文海進の時代には、上町台地だけが陸地で、それ以外は河内湾だったそうです。その上町台地に「大坂」という地名の由来となった天王寺七坂があり,その坂を巡りました。

 上町台地は、概ね谷町筋から東側に広がり、北端が大阪城の辺りになります。現在の谷町筋と松屋町筋の間が上町台地の西の端となり、多くの坂があり,そこに天王寺七坂がありました。


赤川鉄橋です。貨物の単線と歩道の珍しい鉄橋です。この秋に歩道の部分はなくなって,今はこの光景を見ることはできません。


 4月の若葉の頃に,京都の東山辺りを散策しました。四条・河原町から祇園,円山公園,東山公園を経て哲学の道です。若葉の頃に,ここを歩くのは初めてかもしれません。緑がすがすがしい雰囲気が銀閣まで続いていました。


 鉄道が好きな生徒に教えて貰った情報です。川崎重工兵庫工場でつくられた秋田新幹線「スーパーこまち」のE6系新幹線が、秋田に向けJRの線路で機関車に牽引されて輸送されるそうで,教えられた予定時間を待っていると,その姿を見ることが出来ました。


 梅雨明けの後,強い夏の陽射しが照り輝いています。赤外線カメラで,街路樹の葉っぱが放射する赤外線が白く写り,幻想的な光景となります。


 7月20日,西播磨の佐用町・南光のひまわり畑を訪れました。数年前まで毎年訪れていたのですが,久し振りです。

 どこまでも続くひまわり畑の中を彷徨い続けました。


7月21日,淡路島の東海岸を自転車で走りました。明石海峡を連絡船で渡って,そこから国道28号線を南下,東浦辺りまで・・・。

 毎年,淡路には何回か走りに行くのですが,今年は,この日の1回きりでした。


8月9日から3日間,出雲国,島根を訪れました。初日は弓ヶ浜鳥取県の西の端・境港から,島根半島の東の端・美保関(みほのせき)へ。

 此処は美保関港を中心とした町で、江戸期には北前船航路の重要な港湾であり、西日本でも有数の歓楽街であったそうです。「青石畳通り」の光景です。

 この後,島根半島の日本海側をドライブしました。集落が点在するのですが隣同士の集落を結ぶ道はありません。昔は船で行き来していたそうです。山間の道を走って目の前に入り江や湾が見えると、車を停めて写真を撮りました。


 松江市内に宿泊したので,2日目は朝早く出雲大社に向かいました。今回の出雲行きのメインの目的です。

 その後,島根半島の西端を巡りました。


 今までに訪れた神社の中で,最も秘境の神社・韓竈(からかま)神社です。

 駐車場から山道をかなり歩いて,鳥居から険しい山路をかなり歩きます。汗だくになって石段を登っていくと大きな岩があって行き止まりです。

 この岩が祭神のスサノオが新羅に渡った時の岩船だそうです。植林やたたら製鉄を日本に伝えた伝承が残っています。

 その後,夕方には松江の街に戻って,松江城を訪れました。


 3日目の朝,佐太神社に向かいました。摂社に田中神社があります。田中神社は、古事記にでてくるコノハナサクヤヒメノミコトとイワナガヒメノミコトを祀っています。

 その後「日本初之宮」がある須我神社,熊野大社,縁結びの神社・八重垣神社を訪れ,中海の干拓地を訪れて,出雲国を後にしました。


 8月17日に鳥取を訪れました。この春の鳥取道が全線開通したので,日帰りで楽に行けるようになりました。

 鳥取砂丘の「馬の背」です。映画・寅さんのロケ地でもあります。


 8月26日から2泊3日で伊予国を訪れました。漱石の小説「坊ちゃん」の舞台となった松山の町を訪れて,坊ちゃんの足跡を辿るのが目的です。

 伊予松山に着いて,最初に訪れたのがターナー島です。観光地化されておらず,探すのに苦労しました。


 道後温泉です。霊の湯は貸切状態でしたが泳ぎませんでした。坊ちゃんの間の隣の個室で,坊ちゃん団子を頂きながら涼みました。

 旧松山中学校跡と現在の松山東高校,漱石が下宿していた下宿・愚陀仏庵跡,ここで正岡子規,高浜虚子,河東碧梧桐らと出逢っていたようです。坊っちゃんが最初に泊った「山城屋」のモデルとなった旅館・城戸屋はレストランとなっているのですが,探すのに苦労しました。


 四国の北西に細長く延びる佐田岬半島を訪れたいと思っていました,その帰路に映画・寅さんの舞台となった大洲の街へ。この石垣がロケ地になっていました。大洲城は,木造で再建されていました。


 今回は,坊ちゃんの足跡を辿ること共に高浜虚子の足跡をも辿って見たかったのですが,正岡子規の記念館や子規堂はあっても虚子に関してわかりませんでした。河東碧梧桐の碑が松山の近郊の大蓮寺にあるとのことで,足を伸ばしました。

 山川艸木悉有佛性
(山川草木悉く仏性あり)

 私のセンス研究のルーツにつながります。そして虚子の「選もまた創なり」の姿勢も,鑑識眼につながる重要なキーワードです。


 帰路は,しまなみ海道を通りました。すべての島には立ち寄れませんでしたが,幾つかの島からの瀬戸の景色を愉しみました。

 因島にある白滝山の山頂には五百羅漢がありました。

 歌人の吉井勇は, 白滝山の山頂からの眺めの素晴らしさを…

  白滝の山に登れば眼路広し
  島あれば海 海あれば島

 吉井勇は,与謝野鉄幹の主宰する「明星」に歌を次々と歌を発表していた時期があったようです。


9月14日から1泊2日で若狭路を巡りました。小浜の「鵜の瀬」に立ち寄った後は,上中の「瓜割の滝」。地図帳の欄外に,瓜が割れるほど冷たい滝というのが記憶に残っていて,一度訪れたいと思っていました。

 その後,鯖街道の宿場町「熊川宿」の古い町並みに向かいました。


 レインボーラインで梅丈岳からの三方五湖の眺望です。

 その後,敦賀へ。ここで一泊して翌日は近江路を長浜,彦根に立ち寄って帰る予定が,台風の大雨で,若狭路を通って帰りました。


 9月21日は,但馬の「猿尾滝」と「天滝」を巡りました。「猿尾滝」は初めてで「天滝」は2度目です。天滝は往復2時間ほど谷川沿いの山路を歩く必要がありますが,落差100mは圧巻です。


 伊予松山まで行って,高浜虚子の足跡を辿れませんでしたが,神戸の隣町・芦屋に虚子記念文学記念館があります。

  「選は創作なり」という虚子の姿勢は,私の「センス」研究にとって,大きなトリガーとなったフレーズです。館内のショップでホトトギス社の「虚子俳話」を購入しました。結構面白い話が載っていました。


10月13日,丹波柏原に向かいました。

柏原の庄屋・田季繁の娘である捨(ステ)が6歳の時に読んだ句

 雪の朝 二の字二の字の 下駄の跡

 田捨女(デン ステ女)の石像がありました。田捨女の子孫に参議院議員の田英夫がいます。


 10月17日,虚子文学記念館の後に立ち寄ろうとして,残暑で疲れてしまって取りやめた谷崎潤一郎記念館に行きました。

 谷崎の作品では細雪が好きです。もう何年も読んでいません。市川崑監督の映画は,封切り直後に新潟・長岡の映画館で見た記憶があります。蒔岡家の四人姉妹,「鶴子」「幸子」「雪子」「妙子」を岸惠子、佐久間良子、吉永小百合、古手川祐子がそれぞれ演じていました。


 11月2日に,再び若狭・小浜に向かいました。9月に小浜に立ち寄った時は知らなかったのですが,与謝野鉄幹が主宰していた「明星」で,与謝野晶子と双璧だった山川登美子の記念館が数年前に開館したとのこと。

 父の葬儀のために小浜に戻った登美子が,そのまま療養した「登美子終焉の間」の部屋も公開されていました。展示室には,琴がありました。

  わが息を
  芙蓉の風に 
  たとへますな 
  
  十三絃を 
  ひと息に切る
      登美子



春に大阪の町を探訪した時に,茶臼山に辿り着くことが出来ませんでした。気になっていたので,再び新世界・天王寺へ。天王寺公園の中にありました。


 昨年は一度も学会発表をしていませんでした。今年は,12月になってやっと学会発表です。地元の神戸です。

 今回は座長も務めることになって,自分の発表以上に,座長の方に気を遣いました。


 勤務校での研究授業,音楽の授業です。

 「感性」をキーにして,良い感じの授業展開をしていました。ひじょうに参考になりました。


 12月初旬の寒波で,それまで青々と茂っていた田んぼの蘖(ひこばえ)が,寒波で枯れていました。

 早朝の田んぼ・・・枯れたヒコバエが朝の陽光に金色に輝いて幻想的な光景です。