阪神淡路大震災1.17のつどい


あれから19年、 2014年01月17日


 1995年1月17日の早朝5時46分,阪神淡路大震災から19年になります。

 はじめて三ノ宮・東遊園地での「阪神淡路大震災1.17のつどい」に参列しました。5時46分に東遊園に到着しようとすれば一番電車に乗らないと間に合いません。久し振りに一番電車に乗りました。

 4時に起きて,朝食も摂らずに自宅を出て,まだ真っ暗な住宅地の中を歩いて駅の構内に入ると・・・静まり返っていると思っていたのですが,結構人が居ました。


 ホームに上がって電車を待っていると,次から次へと人が増えて・・・震災の集いに参列される方々も多いのかもしれません。3人組の女子高生を見掛けました。制服を着て,夜遊びをしていたのでしょうか?


 電車は座れましたが,途中から立つ人も出てきました。

 三宮駅・・・多くの人が電車から降りて,ラッシュアワー並みです。さっきの3人組の女子高生も降りて東遊園地方面への人の流れに入っていました。夜遊びかと思ってしまいましたが,登校前に震災の集いに参列するために早起きしていたようで,勘違いでした。


 上りのJRは一番電車に乗れば5時46分に間に合いますが,下りのJRの一番電車はもっと遅い時間です。阪急電車は西宮発の下り電車で間に合います。

 三宮駅からフラワーロード沿いに,黙々と東遊園地に向かう人の流れ・・・三宮センター街前です。


 そして東遊園地です。思っていたよりも凄い数の人で埋まっています。

 東遊園地の南側にある関西電力のビルは,照明の点滅で「1.17」を表示していました。


 参列者も多かったですが,報道関係者も凄い数でした。


 ロウソクが灯された竹燈籠(たけとうろう)の周囲には,たくさんの人が・・・


 ひしめくように竹燈籠の周囲に参列者が取り囲んで,静かに灯りを見つめています。話声はほとんどありませんでした。


 もうすぐ5時46分になります。黙とうの時刻を告げるアナウンスがありました。


 そして5時46分,黙とう・・・沈黙の時が流れました。目を瞑っていると,シャッター音が時折聞こえてくるぐらいで,東遊園地が静寂で包まれました。


 献花と記帳の案内のアナウンスがありましたが,あまり人の動きがありません。参列されておられる方々は,竹燈籠の灯りを見つめ続けていました。


 竹燈籠の前の列の人が,後ろの列の人に譲って,竹燈籠に新たにロウソクを点けている人も・・・


 震災の黙とうで忘れられないのは,震災から一ヵ月が経った2月17日に,避難所になっていた当時の本務校のグランドで,震災一か月の黙とうの時のことです。避難されておられた方々と職員,ボランティアの方々がグランドに集まって黙とうをしたのですが,目を瞑ると,この一か月のことが走馬灯のように思い出されて,涙が止まらなかったことが今でも記憶に鮮明に残っています。


 しばらくして,ようやく人が流れ始めました。私も移動しました。






 おびただしい報道陣も,活動を開始して賑やかになってきました。


 竹燈籠の前で,いつまでも頭を下げている方々も少なくなかったです。


 静寂と 喧噪とが入り混じった異様な雰囲気


 一方的なアナウンスだったのが,参列者へのインタビュー形式になって,其処彼処にライトとテレビカメラが・・・


 揺らめく竹燈籠のともしびと,眩い報道用のライトのコントラストも,また夜明け前の真っ暗の中で,異様な感じでした。


 報道を通して,各地の情報を得る立場のことがほとんどですが,今は,報道を通して,各地の方々に注目されて「時と場所」に居るので,このカメラの向こうには,たくさんの方々がいらっしゃるということになります。


 参列者に,被災当時の体験談等をインタービューしている場面が彼方此方で繰り広げられていました。


 そんな喧噪の中でも,竹燈籠の前で,頭を下げ,手をあわせ,静かにロウソクに火を灯す方々が後から後から・・・続々と集まって来られました。


 揺らめく竹燈籠の炎,それを見つめる方々・・・


 いろいろな思いを,ともしびを目にして思い出されておられるのかもしれません。


 5時46分から,30分ほどの時が流れました。まだ夜明けの兆しはなく,真っ暗です。


 ロウソクは,次々と灯されるようで,30分前と同じような光景がそのまま続いています。


 記帳する処には,長い列が出来ていました。


 竹燈籠を離れると,報道用のライトと凄い人ですが,この中の竹燈籠の前は,祈りと黙とうが続いています。


 高校生のボランティアの方々を多く見かけました。ゴミ袋を持って,清掃をしたり,消えたロウソクの処理をしているようです。


 雪だるま・・・高校生の作品だそうです。福島からの雪という噂を耳にしました。


 震災後,遺体安置所と避難所になった本務校は,底冷えした記憶が残っています。その時の寒い記憶が蘇ります。


 これは何なのか?わからないままでした。


 職場では1月17日震災の犠牲者に弔意を表す半旗が掲げられていました。


 放課後,職場の先輩に誘われて,HAT神戸にある防災センターに向かいました。今日・1月17日は無料開放です。


 久し振りに訪れたのですが,上映された映像を見た記憶がありました。

 展示物は,以前来た時と変わっているのか,ちょっと記憶にありませんでしたありませんでした。


 避難所を再現した模型 (撮影可を確認して撮影)


 震災後の様子を描いた絵 (撮影可を確認して撮影)


 今日の夕刊のトップは,震災19年目,東遊園地での震災の集いを各紙が取り上げていました。



 今まで,あまり震災の日を強く意識することはなかったのですが,19年目の今日は,はじめて東遊園地での「震災のつどい」に参列して,久し振りに震災センターを訪れて,19年前の追憶に思いを馳せました。