旅の始め & 蕨・川口


東海道-蕨と旧勤務校、2013年3月07日


 久し振りに「海を見ていた午後」という唄を耳にして…横浜を訪れたくなりました。荒井由実(松任谷由実)の「MISSLIM」というアルバムに収められていた曲で、耳にしたのは山本潤子(赤い鳥・ハイファイセットの新井潤子)のソロの唄声でした。さっそくアルバム「MISSLIM」を購入して、横浜の海が見える丘から三浦岬を望みたいなあ〜との思いを持ちました。

 2月の連休(2013年2月9日〜2月11日)に訪れようかと、ネットでホテルの予約を試みたのですが、高価な部屋以外は、横浜の市街地のホテルは全部満室で諦めました。

 前年が旧暦の閏年となって旧正月が2月10日、ちょうど連休と重なって中華街のある横浜は春節祭の観光客で賑わう時期であり、そして大学受験シーズンということも重なったのが原因だったのかもしれません。



 3月7日の朝、新大阪駅に向かいました。JR神戸線の快速・新快速よりも、朝の新大阪ー東京間の「のぞみ」や「ひかり」の方が本数が多いかもしれません。



 当日分の切符売り場には、結構待ち行列ができていました。


 在来線と新幹線との乗り換え口です。在来線が新大阪駅に到着すると、この乗り換え口が大変混雑します。



 少し早目に着いたので、ホームからいろいろな車両の写真を撮りました。新大阪から鹿児島へ向かうJR九州の新幹線…



 こちらは東京へ向かう新幹線…



 そしてこれから乗る「のぞみ」です。座席が16号車で、上りだと先頭車両になります。



 先頭車両の乗降口から見た光景です。



  「のぞみ」に初めて乗ったのは、埼玉に住んでいた頃に、広島での結婚式に日帰りで出席した時でした。「のぞみ」が運転をはじめたその年だったと思います。初めての「のぞみ」は、なんだかチューブのような中に閉じ込められていたような感じがしました。でも、「のぞみ」がなければ日帰りは無理でした。

 品川までの約2時間半の間に本を一冊読むつもりが、音楽を聴いたり車窓の景色を眺めて…手にしていた本は、まえがきを読んだだけでした。座席が14Eで窓側だったので、春霞の向こうに富士山を望むことができました。

 新富士駅を通過してしばらくした頃が、もっとも真正面に富士を眺めることができました。



 *

 今回の「横浜行き」は、久し振りに耳にした「海を見ていた午後」の唄の中の「山手のドルフィン」がトリガーとなりましたが、それと併せて2年前に宇都宮大での学会発表の折に、久し振りに「かつて歩いた街角」を歩いたのですが、その折に巡ることができなかった処を訪ねることも目的のひとつです。そのひとつが蕨・川口です。

 1年間通っていた蕨(わらび)です。当時、埼玉県の三郷に住んでいたので、武蔵野線で南浦和で乗り換えて、蕨駅で降りて、川口の勤務校まで歩いていました。



  駅前に降り立ちましたが、街が大きく変化したのか、それとも私の記憶が薄らいでしまったのか、ちょっと戸惑いました。少し歩くと、見覚えのある駅前の本屋さん、商店街の入り口、電柱等々、記憶が蘇ってきました。

駅前の本屋さんです。



  蕨駅前の交差点から当時の勤務校まで、幹線道路でもない一本の道が続いています。その道を歩いていました。地図で確認すると1kmあまりの距離がありました。毎日ここを行き来していたんだなあ〜と…歩きながら、ほとんど光景に記憶がなかったのですが、ほぼ一直線の道が一箇所だけちょっと折れ曲がったような処があり、此処の記憶だけはハッキリとしていました。



 この一本の道は川口の産業道路(埼玉県道35号)に至ります。その合流点は、元勤務校の名前がついた交差点があります。



 交差点にあるバス停にも元勤務校の名前がついています。



元勤務校近くにある病院です。風邪で何度か診察を受けたことがあります。



かつての勤務校です。はじめての高校で勤務した職場でもありました。全日制課程と定時制課程が併設した高校で、昭和30年代や40年代には、東北地方から川口の鋳物工場に就職して昼間働き4年間夜学んで、東京の大学に進学する生徒も少なくなかったそうです。真正面が管理等で、右側が講義棟です。



 講義棟…この建物の中の教室で授業をしていました。


 校門近くにあった、周辺のゴミ収集所です。私が勤務していた頃から、細かく分別収集をしていました。現在の神戸市の分別収集よりも、当時の川口市の方がしっかりと資源回収の意識が強かったように思います。



 再び一本道を戻って蕨駅前まで。朝、よく立ち寄っていた立ち喰い蕎麦屋さんです。味の記憶は残っていませんが、美味しかったことだけは覚えており、また食べたいなあ〜と思っていました。久し振りに入って天ぷら蕎麦を食べましたが、美味しかったです。(残念ながら懐かしい味…という感覚はありませんでした。)