天王寺七坂


上町大地…逢坂のルーツ、2013年3月29日


  大阪は、縄文時代の縄文海進の時代には、上町台地だけが陸地で、それ以外は河内湾、その後は河内湖となり、葦の繁っげる湿地帯だったようです。

 上町台地は、概ね谷町筋から東側が大阪環状線辺りまでの南北に長い台地で、北端が大阪城の辺りになります。現在の谷町筋と松屋町筋の間に上町台地の西の端の崖状の高低差の大きい処となって、ここに天王寺七坂があります。

 谷町線の谷町4丁目駅は、大阪城の南西に位置します。難波宮(なにわのみや)は、現在の大阪城の南側に難波宮史跡公園として保存されています。



 谷町線で谷町9丁目…谷九(たにきゅう)で降りました。この辺りから南側に天王寺七坂が点在しています。


 谷九の交差点から西側…なだらかな坂になっています。この坂の右側に高津さん、左側に生玉(いくだま)さんとなります。



 この辺りは中寺…お寺が多いです。



 お寺がずらっと並んでいます。



 生國魂神社北門坂、松屋町筋から生國魂神社北門へ至る坂です。



 天王寺七坂の北の端にある真言坂です。まっすぐに生國魂神社北門に向かう坂です。



 天王寺七坂の中では、もっとも短い坂です。



 生國魂神社の南西側は下寺町で、此処もお寺が並んでいます。



 松屋町筋の下寺町にある源聖寺から谷町に至る坂が源聖寺坂です。



 源聖寺坂はかなり高低差があります。



 源聖寺坂の中腹ぐらいから、松屋町筋を見下ろすと…



 夕陽丘高校の北側で、お寺の向こうに教会を見越す光景を目にしました。



 口縄坂は夕陽丘高校の南側にある坂です。



 口縄とは大阪で蛇のことで、坂の下から口縄坂を見上げると、起伏が蛇に似ていることに由来する名前だそうです。



 愛染坂です。坂の上・愛染坂の下り口にある愛染さん(愛染堂勝鬘院)に由来する名前です。



実際には、愛染坂と愛染堂勝鬘院との間に大江神社があります。



 清水坂…坂の上・清水坂の下り口にある清水寺に由来する名前です。



 この坂を下ると、松屋町筋の西側にでんでんタウン・日本橋の電気街があります。



 清水寺の墓苑は、上町台地の西の端に位置して、西側が開けています。



 この辺りは夕陽丘町、上町台地の西の端で、夕方には、大阪湾に沈む夕照を眺めることができたというのが由来なのかなあ〜と…。



 天神坂、安居天神へ通じる坂道というのが由来だそうです。この安居天神の境内が、大阪夏の陣で真田幸村が戦死した処です。



 この安居天神の境内が、大阪夏の陣で真田幸村が戦死した処です。



この辺りの地名(住居表示)は、逢坂(おおさか)です。この南にある坂が逢坂です。



 逢坂の坂の上、谷町筋からの西側の眺めです。此処は四天王寺の門前でもあります。 



 天王寺七坂の南端となる逢坂は、もっとも幅が広い坂です。この坂の南には一心寺があります。



 住居表示は大阪市天王寺区逢坂となります。



 逢坂の坂の下は「合法ヶ辻」(がっぽうがつじ)と言い、聖徳太子と物部守屋が仏法を論じ合った処だそうです。



道標には「左・松屋町 八軒家、すぐ・天王寺 平野」とあります。八軒家とは淀川沿いの船着き場です。



 また逢坂を上って…四天王寺です。



 聖徳太子に由来するお寺で、何処の宗派にも属さず「和宗総本山」となっています。