宗像大社中津宮


2012年8月26日


 宗像大社は、宗像神社や厳島神社などの宗像三女神を祀る神社で、日本各地に七千以上ある神社の総本山になります。そして全国の弁天宮の総本宮とも言える神社です。



 宗像大社の起源は、天照大神とスサノオの誓約(うけい)の際に、天照大神の息から生まれたのが宗像三女神だそうで天照大神の勅命を奉じ皇孫を助けるため筑紫の宗像に降り、この地を治めるようになったそうです。


 沖ノ島の沖津宮、宗像大島の中津宮、そして宗像市田島の辺津宮の三社の総称が宗像大社です。大化の改新(645年)の国郡の制によって宗像郡が神領として与えられ、豪族の宗像氏が神主として神社に奉仕しつつ行政も司ることになったそうです。



 この階段の上に本殿があります。



 階段を上ると、このような光景が目に入ってきます。



 振り返ると…こんな感じです。



 階段を上りきると、中津宮の本殿が真正面に…



 宗像大島から、海を越えて南に広がる九州の地を見下ろすように…



 本殿は、伊勢院宮の遷宮のリサイクル社殿です。



 以下に、中津宮のいろいろな角度から撮った写真…



 夏の強い日射しの木漏れ日が社殿にあたって、コントラストの強い光景です。



 静かな境内、海音も聞こえてきませんでした。



 私が乗ってきた船には、何人も乗客がいましたが、中津宮に向かったのは他にいませんでした。



 境内にある摂社です。



 中津宮には階段の下にある鳥居の横を流れる天の川の左右に、末社として牽牛社(けんぎゅうしゃ)と織女社(しょくじょしゃ)があります。

 宗像大社の七夕伝説は…昔、若い貴族が朝廷の命を受けて海を渡って何人かの織工女(きぬぬいひめ)を連れて帰国したそうですが、その貴族は織工女のひとりと恋に堕ちたそうです。役目を果たした貴族は都に帰り、織工女たちは辺津宮に預けられることになりました。都に帰った若者は、織工女のことを想い続けていたそうですが、ある夜、宗像の女神が枕元に現れて、宗像の中津宮に行くように告げたそうです。貴族は役職を捨てて中津宮で神に仕える道を選んだそうです。

 鳥居の向こう、崖の上に牽牛社があります。



反対側にある石段は、かなり崩れかけていて立ち入り禁止になっていました。この上に織女社があると思うのですが…近寄れませんでした。



 天満宮と大歳宮の石碑が階段の傍らに置かれていました。