雲仙


被災地の痕、2012年8月25日


8月25日は長崎市内を朝から夕方まで1日観光の予定でしたが、急遽、島原半島の雲仙に向かいました。今回の長崎行きには予定していなかったのですが、諫早湾の干拓の様子とともに、雲仙の災害地を訪れたく思い、お昼前にホテルに戻って、車で島原半島に向かいました。

 長崎バイパスから長崎道に入って、諫早ICから国道57号線で島原半島へ。島原半島の東海岸沿いを走る国道251号線に入って、島原鉄道沿いの道…。島原鉄道の愛野、阿母崎、吾妻の各駅辺りは、有明海沿いだったのが、今は干拓地が続いて内陸になっています。吾妻駅辺りから左手の堤防越しに海が見えますが、ここは堤防の内側になり、堤防の内側の海面の色が、遠くの堤防外の海面の色と違います。堤防の長さが思い描いていたよりも遥かに長かったです。思っていたよりも干拓地が広大でした。

 島原城のある島原市街地まで、有明海を左手に、そして雲仙・普賢岳を右手に眺めながらの海沿いのドライブです。島原の町を過ぎてからは国道57号線で雲仙普賢岳方面へ、高原地帯から山道に入り、ヘアピンカーブの連続でした。次第に島原湾を一望できる高度に上がっていきます。



 山上で国道389号線に入って、北側から普賢岳と平成新山を望むポイントへ


 火砕流が駆け下りた斜面です。



 その後、県道131号線で山麓へ下って、「がまだすロード」と呼ばれている県道58号線で山麓沿いを、雲仙普賢岳を左手に見ながら山麓沿いを時計方向に東側へ…普賢岳を見上げる処もありますが、林の中を走るコースも多いです。



 百花台公園、磔石公園を経て、県道207号線に入って垂木台地公園…、この辺りは普賢岳、平成新山を間近に見ながらのドライブになります。



 その後、私の古いカーナビでは、南下する県道があるのですが、実際には、水無し川沿いに新しくて広い道路が下流に向かっています。カーナビで表示された県道は、低木の林で覆われて道が続いているのか…わかりませんでした。

 この辺りは、1991年6月に発生した雲仙普賢岳の火砕流災害があった処です。この水無し川沿いに土石流が流れ、そして火砕流が襲い、この辺りにあった北上木場の集落に大きな被害をもたらしました。今は、集落はなく、低木の林と草原があるだけです。その向こうに普賢岳と平成新山を眺めることができます。



 どの辺りに集落があり、田畑が広がっていたのかは…初めて訪れる私にはわかりませんでした。ただ、草原と低木の林とその向こうに山があるだけの自然の眺めですが、二十年前までは、此処に人の営みがあった処です。



 平成新山の頂は、今も岩がむき出しになった姿を顕していました。