出津教会
2012年8月24日
西彼杵半島の外海の海岸沿いを、大野の集落から南下すると出津…。海の見える丘の上に「沈黙の碑」があります。 |
作家・遠藤周作の代表作である小説「沈黙」の舞台となったトモギ村は外海町が舞台となっており、この小説にちなんで「沈黙の碑」が作られたそうです。
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石碑には、次の言葉が刻まれています。 「人間が こんなに 哀しいのに 主よ 海があまりに 碧いのです。」 遠藤周作 |
キリスト教の禁教が解禁されてフランス出身のド・ロ神父が外海に赴任したのは明治12年(1879年)で、私費を投じて出津の天主堂を建設して、併せてマカロニやそうめんを生産する作業場・出津救助院をつくり、貧しい出津の集落に新たな産業をもたらすことになったそうです。 |
出津教会はド・ロ神父の設計・施工によって建造されたもので明治14年に着工し、明治15年に完成しています。 |
天主堂の外観は、白と黒の瓦葺の屋根で、両端に双塔を有する珍しい外観をしています。 |
全長37m、幅11m、軒高3.5m 塔の高さ5.8m、祭壇部の塔の高さ5.5m |
明治15年に完成した最初の天主堂は、会堂両側面の中程に切妻屋根の脇出人口を置き、その左右に各々2個ずつの上部円形アーチ窓を有する変形寄棟屋根の小規模な建物だったそうです。 |
その後、信者が増加して明治24年(1891年)に約1.5倍の長さに拡張し、その棟上の頂部に十字架をいただく小塔を建て、更に明治42年(1909年)に正面玄関部分を増築し、大きな鐘塔を建てたそうです。 |
出津の集落を南に向かうと、道の駅・出津があり、その岬の小高い丘の中腹が「夕陽が丘」と名付けられて遠藤周作記念館があります。以前、外海を訪ねた時には、この遠藤周作文学館はなく、一度訪れたいと思っていました。今回の長崎生きの目的の一つでもあります。 |
遠藤周作の作品には「沈黙」をはじめ、長崎を舞台にしたもの、そして外海を含む潜伏キリシタンを題材としたものが多く、この辺りは遠藤周作にとって所縁の深い処でもあります。 |
遠藤周作のキリシタンものを代表する「沈黙」の舞台となった地で、数々の資料が展示されていました。 |
江戸期には長崎の町から離れた辺鄙な地 |
しかし此処は、角力灘(すもうなだ)を見下ろす「碧い海」の輝きを目にすることができる場所です。 |