田平教会


日付2012年8月23日


  平戸大橋です。開通が昭和52年(1977年)です。それまでは、松浦半島の平戸口(田平町の日の浦にある田平港)から平戸瀬戸を連絡船で渡って、平戸港の平戸桟橋までをつないでいました。2年前までは有料でしたが現在は無料です。



 田平の教会堂を訪れるために、平戸大橋を渡って松浦半島に向かいます。松浦半島の田平は、現在は平戸市に編入されていますので、平戸市内の移動ということになります。


 平戸と佐世保をつなぐ国道204号線ではなくて、海岸に近い県道221号線を南下すると…道路の彼方に天主堂の姿が見えてきました。



 田平天主堂の周辺は、平戸瀬戸を見下ろす瀬戸山があり雑木林が続いていたそうですが、明治時代に黒島(九十九島)や西彼杵半島の外海地区などから移住してきた信徒たちが開墾した処です。平戸島の紐差の天主堂を建てた棟梁・鉄川与助が大正7年(1918年)に建立した天主堂です。



 明治21年には仮聖堂が出来、その後も改築を重ねたそうですが、、何とかして自分たちの天主堂を作りたい」として煉瓦造による本格的な天主堂の建設を希望しながらも信徒たちは貧しく、建設の経費が集まらない状態が続いたようです。



 その後、マタラ神父が母国フランスの善意の人々に寄付を求め、更に信徒たちにイカ漁を勧めるなどして天主堂建設の資金を集めることができたそうです。



 天主堂の建築に使用する石灰は、平戸島の信者の協力を得ながら貝殻を集めて建築現場で焼成を行ったそうで、その時の貝殻焼き場の跡が会堂前にありました。



 たくさんの天主堂を手掛けた鉄川与助にとって、煉瓦造りの天主堂の最後の作品でもあります。



 天主堂は、正面中央に会堂本体から張り出した矩形の高い塔屋を持っています。



 塔屋の正面は三層で、その第一層は玄関の一部として三方を吹き放っています。塔の最上部のドーム上には十字架を乗せ、入り口や窓は全て半円形アーチが採用されています。



 以下、いろいろなアングルからの田平天主堂の写真です。



 左背面からの眺めです。教会堂の右側(南側)はプライベートスペースになっています。



 アングルを変えて、ちょっと望遠気味に…



 そして天主堂の後ろから超広角レンズで撮った写真です。



 天主堂の北側には墓地と駐車用があります。平戸瀬戸を見下ろす丘の上のゆったりとしたスペースにそびえるレンガ造りの天主堂は、写真を撮っていて、絵になる光景だなあ〜と感じました。



  最後に真正面からの天主堂の写真です。