宝亀教会


2012年8月23日


  川内港から、平戸島を縦断する国道383号線沿いに数キロ南下すると宝亀(ほうき)の集落があり、国道から集落の中を抜けた町はずれの丘の上に宝亀教会があります。平戸瀬戸を見下ろすことができます。



 元々は宝亀の集落の東側の京崎の集落の民家に明治11年(1878年)が建設されたのが始まりだそうです。明治18年(1885年)には京崎に仮教会が建てられ、その時の信者は18戸だったそうです。


 現在の宝亀の天主堂は、明治30年頃にマタラ神父が指導監督して建設にかかり、明治31年(1898年)に落成し、宝亀教会はそれまでの巡回から神父の定住する教会となったそうです。



 建築の費用は、当時の信者50戸の全員で約千円を拠出して、不足分をマタラ神父が賄ったそうです。煉瓦や材木その他の資材は外海、黒島或いは田平の方から大型船で運び、浜からは信者達が背負って上げ、漆喰などは住民が総出で貝殻を拾い集めて焼くなどして集落全体で協力して建設したそうです。



 宝亀の天主堂の建物は木造切妻で単層屋根構成の瓦葺きで、外壁は下見板張りとなっていますが、建物正面の玄関部分の1間のみがレンガ造りとなっています。このレンガ造りの部分の正面はモルタル塗り着色仕上げとなっており、左右側面は煉瓦面を露出させています。



 天主堂を背後から見ると、まったくイメージが異なります。



 天主堂の内部は三廊式で、主廊部正面に矩形の祭壇があり、祭壇の後部には尖頭アーチ形の窓が大きくとられています。祭壇部の天井は会堂部の天井をそのまま延長したもので、祭壇部の造りは簡素でした。



 天井は主廊部、側廊部とも板張り4分割リブ・ヴォールト天井というそうです。



 教会堂の左右両側面にはベランダが設けられていて、ここから出入りすることができるようです。教会の設計としてはかなり珍しいらしくて、開放的な教会を目指したのかもしれません。正面のレンガ造りが美しい天主堂で、平成15(年2003年)に、長崎県指定有形文化財に指定されています。



 まだ朝早い時間帯に訪れたのですが、天主堂の前の道を、ニワトリが歩き回っていました。放し飼いされているのか、それとも檻から逃げ出したのか…