川内湾・鄭成功廟


2012年8月23日


  今回の長崎行きの1日目は、神戸から平戸までの移動で費やし、2日目は主に生月島めぐりと平戸の市街地でした。そして3日目は平戸島めぐりです。
朝、まず川内港の東に位置する小高い丘の上・丸山にある鄭成功廟を訪れました。



 平戸の川内で生まれた明朝末期の英雄・鄭成功を祀る鄭成功廟があります。台湾の台南に「明延平郡王祠」という廟があり、鄭成功とその母マツの神位が祀られているそうで。第二次世界大戦中は開山神社と呼ばれ、毎日神官が祝詞をあげていたそうです。昭和37年(1962年)に、この明延平郡王祠から鄭成功の分霊を受けて、「鄭成功廟」として祀ったそうです。


  鄭成功は、清に滅ぼされようとしている明を擁護して抵抗運動を続け、台湾に渡って鄭氏政権を築いたので台湾・中国では民族的英雄として国姓爺と呼ばれているそうです。



 川内港です。17世紀初頭、平戸が南蛮貿易で栄えていた頃には、平戸港の副港として栄えて、多くの外国船がここで帆を休めたそうです。今は漁港です。



 川内港を巡る国道383号沿いには人気の「川内かまぼこ」の店舗が十数件ほど立ち並んでいます。



 川内かまぼこは、江戸末期に平戸で交易のあったオランダ人の食材である挽肉にヒントを得た漁民が、魚をすりみにして食べたのが川内かまぼこの始まりだそうです。



 川内かまぼこの原料はえそ・あじ・いわし・あごを用いており、平戸では「あご」と並びもっとも有名な特産品です。



 現在「鄭成功廟」がある小高い丘の丸山には、平戸が南蛮貿易で栄え、川内港に外国船が寄港していた頃には、ここに歓楽街「丸山」がありました。当時は花街として栄えていたそうです。しかし南蛮貿易が長崎の出島に限らてオランダ商館が長崎・出島に移転するとともに花街も名前と共に長崎に移り、その後、長崎の丸山は、江戸の吉原、京都の島原と並ぶ日本3大花街として栄えることになりました。

 平戸・川内の丸山は、川内港が南蛮貿易港から漁村となり、港の外れの小高い丘となり、現在は鄭成功廟が出来ています。