平戸の街並み


2012年8月22日


2日目(8月22日)の午後は、平戸天主堂と平戸の街並みの散策です。平戸の町は、松浦半島と平戸瀬戸で向かい合う入り江状の河口に港があり、その周囲に街並みが続いています。16世紀の半ばには平戸港にポルトガルの貿易船が入港してフランシスコザビエルも平戸に来航して、キリスト教の布教を始まります。その後、オランダ商館やイギリス商館が設置され、南蛮貿易の港として栄えますが、鎖国政策後はオランダ商館が長崎の出島へ移転して平戸での南蛮貿易が終焉を迎えます。平戸城(亀岡城)は宝永4年(1707年)の竣工です。港の入口の丘の上にあります。 



 昭和に入ってから建てられた平戸天主堂は、平戸の町を見下ろす丘の上にそびえています。


 平戸港…かつては南蛮貿易の港で、その後は松浦半島との間を結ぶ航路や、生月島島の島々とを結ぶ航路で栄えていたようですが、今は平戸大橋、生月大橋ができて、航路も減少しています。



 平戸港のターミナルの建物です。今は、バスターミナルの貌も併せ持っています。「平戸の交通の要」です。



 平戸島内、松浦半島、そして生月島のバス路線図です。案内所、バスチケットの販売の窓口



 待合所です。バスと共に船の待合所も兼ねているようです。



 旧オランダン館の復元、平戸の町の北端の港のはずれにあります。



 平戸の街並み・メインストリートです。地名としては崎方・浦の町・宮の町となります。



 平戸は山田洋二監督の「男はつらいよ 寅次郎頑張れ!」(第20作)のロケ地となった街並みです。

1977年の年末に封切された映画で、マドンナは大竹しのぶで、柴又の食堂で働く娘を演じています。この娘に恋をするのが寅屋に下宿しているエレキ君という青年で中村雅俊が演じています。そしてエレキ君の故郷・平戸でエレキ君の姉が魚屋をしており、エレキ君の姉(藤村志保)に寅さんは恋をして店を手伝うことになります。映画では、松浦半島の田平と平戸とは連絡船で結ばれています。今から35年前の映画で、平戸の港も街並みも35年前です。



 以下に、平戸の街並み・メインストリートの写真を載せます。



 ほんとうに古い建物もありますが、歴史性を尊重して新しく建てた建物も少なくないです。



海産物関係を扱う店、お菓子屋さんが多いです。






港に沿って、古い町並みのある通りは、緩やかなカーブを描いています。



港を廻って市街地が形成され、その外側は丘陵地帯になっています。



この通りには、シャッターが閉まったままの店はありませんでした。


 この古い町並みの通りの、港寄りに道路があるので、この通りは車の交通量は多くないです。



イギリス商館跡です。



 この辺りの店は、観光地化を意識する前の、古くからの店構えが続きます。



 平戸の古い町並みの南端辺りです。



 寅さんの映画で出てきたのは、この辺りだったような気がしますが、でも実際は撮影用のセットだったかもしれません。映画に出てきた雰囲気を感じさせてくれるような気がする街並み…



 



 平戸港近くの幸橋(オランダ橋)です。寅さんの映画でも出てきたように思います。かつては平戸の町を流れる鏡川には橋が架けられておらず、両岸を船で連絡していたそうですが、1669年(寛文9年)に当時の平戸藩主松浦鎮信が木造の橋を架けて、長年の不便が解消したことを祝って「幸橋」と命名されたそうです。現在の石橋は1702年(元禄15年)に鎮信の跡を継いだ松浦棟により架け替えられた橋です。重要文化財に指定されています。



 橋のそばには幸橋御門が建っています。これは正徳5年(1715)に亀岡城再築城のおりに造られたものを復元したそうです。



 平戸港を見下ろし、対岸の松浦半島を望む平戸瀬戸に突き出た丘陵上にある。平戸城・亀岡城です。



 この日は、平戸島を巡り、更に生月島を一周して彼方此方に立ち寄った後に平戸の市街地を散策したので、活動量計は2万歩を超え、12.8キロ歩いたことになります。汗だくになって旅館に戻り、温泉に浸かりました。