生月博物館


2012年8月22日


平戸島との間を結ぶ生月大橋の近くにある舘浦の港です。生月大橋の向こう側は平戸島です。 



 道の駅生月大橋は、平戸市と生月町を結ぶ橋のたもとの生月大橋公園内にあります。そこから見上げた生月大橋です。


生月・島の博物館です。道の駅生月大橋に隣接するように建てられており、現在は平戸市生月町博物館です。



 生月島は、江戸時代に入って捕鯨が盛んとなり、日本最大の規模を誇り、「生月の勇魚取り」は全国に名を轟かせたそうです。



 島の博物館の展示の約半分はクジラ漁に関するものであり、残りの半分はカクレキリシタンに関する展示です。



 2階にカクレキリシタンの展示ブースがありました。



 400年前のキリシタン時代から江戸期の禁教時代、そして明治期以降のカクレキリシタン時代と、生月島のキリシタンの400年の歴史が展示されています。



 キリスト教禁教の高札です。明治6年〜7年の高札廃止まで、江戸期を通して掲げられていたようです。



 宗門改手形(しゅうもん あらため てがた)です。 江戸時代には、キリシタンの教えを封じるために、いずれかの寺の檀徒になることが義務づけられていました(檀家制)。宗門改手形は、各院が寺の檀徒であり、キリシタンでないことを証明する書類のことです。



 平戸島北部の港町・田助浦の住民が、春と秋に行われる踏み絵を全員が踏んでいて切支丹ではないことを証する宗門改手形です。



 踏み絵です。平戸藩では正保2年(1645年)以降に踏み絵が始まったという説があります。踏み絵とは、キリシタンが信奉するキリストやマリア、聖人の像(踏み絵)を足で踏ませる事です。



  踏み絵の起源として、生月島に居住していた播州・明石(キリシタン大名・高山右近が所領していた。)の三吉という者が、「邪仏」を隠し持って、忍び忍び念じていたことを役人が知り、三吉の同類の者3人を捕らえて平戸に送って邪仏を踏ませると邪宗を止めたとされています。その後、宗旨が怪しい者に踏ませて改宗をさせていたようで、このことを聞いた長崎奉行所の馬場三郎左エ門からその「邪仏」を所望されて、奉行所でその「邪仏」を鋳崩して下地金を足して多数の絵板(これが踏み絵)を製作し、平戸でも絵踏の時だけ長崎(奉行所)から借りるようになったそうです。最初は信心していた者に踏ませて棄教させていたのが、皆に踏ませて信仰の有無を確認する制度に発展したという説です。



オラショ本(生月島山田)です。和紙に墨字で記した、比較的古い時代のオラショ本のようです。



 オラショ本は、かくれキリシタンの祈りの文句である「オラショ」を紙に書き記したり印刷したりしたもののことです。オラショはもともと口伝えに継承されて、書いたものを見ることなく暗誦する形で唱えられてきたようです。しかし、その内容は慶長5年(1600年)に出版された『どちりなきりしたん』や『おらしょの翻訳』にある祈りとあまり違わないそうです。



 御三体様…多くの殉教者が処刑された中江の島は、別名「サンジョワン様」という洗礼名もつ殉教者に由来しています。この三体の神像は、先祖の殉教者を偲び堺目地区の信徒が昭和になって作成して、中江の島の祠に安置したものだそうです。



 カクレキリシタンの展示室の奥には、隠れキリシタンの秘密教会の役割を果たしていたツモト(お宿)家の部屋が復元されていました。昭和初期のツモト行事を復元したものだそうです。

 「ツモト」とは、「お産待ち」のことだそうで、現在のキリストの降誕・クリスマスの待降節のようなニュアンスかもしれません。。 実際に中に入って当時の雰囲気を体感することができるようになっていました。展示では生月壱部の岳の下ツモトでの「上り様」行事におけるナオライ(祝祭あるは宴会を意味する)の場面を再現したものだそうです。

 この座敷部屋でさまざまな秘儀や行事が催されそうです。親父様と呼ばれるツモトの当主が全体の儀式を仕切り、オラショという祈祷文が唱和されたようです。



 右手には板敷きの仏間があり、「この家では日本古来の神仏をこのうえなく大切に祀っていますよ」というような仏壇と神棚の配列となっています。


 仏間の奥には納戸があり、、その納戸の奥に隠れキリシタンの本尊である「御前様(マリア像または聖者像)」を祀る秘密の間になっています。



 納戸の奥には床の間には幼いキリストを抱く聖母マリア像の掛け軸があり、その下には聖水の瓶や各種のメダリオン、縄製のオテンペンシャという聖具も置かれています。



 受胎告知(舘浦)… 受胎告知は、大天使ガブリエルがキリストの受胎をマリアに告げる場面で、下側右にマリア、左に天使、雲上に父なる神を配しています。いずれも和装のいでたちで、一見して聖画の雰囲気はありませんが、天使の翼でそれとわかるような絵です。マリアの懐には本来存在しない筈の幼子キリストが抱かれていますが、お洗濯(描き換えによる更新)の際の変容だそうです。



 天使が舞う聖母子像(旧正和6垣内の御前様)… 生月島のかくれキリシタンが信仰対象とするお掛け絵には、聖母子像に起源するものが多いようですが、この図のように天使が舞う姿が描かれたものは、他に例がないそうです。聖母の額に明瞭に十字が描かれているので、これはは禁教が解禁された後に描かれたようです。



 ダンジク様(聖家族図)…旧舘浦ダンジク講の御神体だそうです。ダンジク様とは、島に南西岸のダンジク(暖竹)の薮蔭に隠れていたのが、船で探索していた役人に発見され処刑された親子3人のキリシタンのことです。山田や舘浦には、彼らを祀る講がいくつか存在したようです。キリスト教絵画と比較研究によって、キリスト、マリア、ヨセフの聖家族を描いた絵の影響が認められるようです。



 オーソドックスな形のお水瓶(堺目)… 一般的な行事に用いるお水瓶は、高さ20センチ程度の鶴首の壺で、口は紙などでフタがされ、行事の時にお水をつけて祓うイズッポと呼ばれる木の棒が付いているそうです。



 オテンペンシャ… オテンペンシャは、もとは苦行の鞭だったものが、祓いの道具に転化したものです。地区によって形態が若干異なるようですが、一文銭などを加工した十字架金属を紐につけているものが多いようです。