山田教会、ガスパル様


2012年8月22日


  生月島の最北端・大バエから御崎を経て、県道42号線を生月島の東海岸沿いに南下…2005年に平戸市に合併されるまでの北松浦郡生月町の壱部浦や里免辺りが生月町の中心街だった処です。

 此処にフェリー乗り場があって、平戸港や田平港とつながっていたようです。



 現在は平戸市役所・生月支所や平戸郵便局がります。


 生月島の漁業の中心であることには変わりないかもしれません。江戸時代には捕鯨で栄えた港だったと思います。



生月島は、江戸期の禁教時代には多くの隠れキリシタンが潜伏しており、1865年の「信徒発見」の後に、長崎や佐世保からカトリックに復帰した信者が生月島を訪れて、生月の隠れキリシタンに対して復帰を働き掛ける動きがあり、生月島の南部にある山田に明治42年(1909年)に山田教会の建設が着工されて、大正元年(1912年)に完成しました。 



 山田教会の前庭にはマリア像のジオラマがありました。 



 そして前庭にはトマス西神父の列聖を記念した列聖記念碑もありました。山田教会は、生月島を南北に縦断する県道42号線から数百メートル坂道を上った丘の上に建っています。 



 山田教会の近くには「動物注意」の標識が立っています。無人の野菜販売所もあり、旅行客や観光客があまり来ない処なのかもしれません。



 生月島を南北に縦断する県道42号線沿いに、「ガスパル様」の標識がありました。



 山田教会とは反対に県道42号線の浜側・東海岸の小高い丘の上に「ガスパル様」はあります。



 慶長14年に殉教したキリシタン・ガスパル西玄可の「黒瀬の辻殉教碑」が建っています。



 ガスパル西は生月島での最初の殉教者と言われ、当時十字架が建っていた墓地「クルスの辻」での処刑を望んだそうです。



 この辺りは現在「黒瀬」という地名ですが、これは十字架の「クロス」が「黒瀬」となったと言い伝えられています。ガスパル西は188福者のひとりです。



黒瀬の丘の上から海を眺めていると…此処で400年前にキリシタンの迫害があり、処刑が行われたという歴史が刻まれていることが、旅行者の私にはピンとこないような綺麗な景色が広がっていました。