New Year 2009
旧年中は大変お世話になりました。 本年も何卒よろしくお願い申し上げます。 |
夏になると、浜風を受けながら明石海峡沿いに自転車で西へ、舞子から大蔵海岸、江井ヶ島海岸を走ったり、淡路に渡って東海岸を走ったりすることが多いです。 日の出の時刻が最も遅いこの時期に、夏の記憶を辿ると真っ先に強烈な陽射しを浴びた光景が脳裏に蘇ります。 |
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明石・江井ヶ島海岸 8月 |
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台風 きのうの嵐がうそのような どこまでも青い空 風がすべてをぬぐい去ったのだろうか? おびただしい光の中 セミの鳴き声がいつまでも続いている 影を求めようとも 何処にも見あたらない 過ぎ去った台風は 私を取り残してしまった この光の満あふれるただ中に・・・・ 1990年8月 |
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この詩を書いた当時の私は、埼玉の三郷に住み、東京の池袋の職場に通っていました。それから失業や転職を経て、生まれ育った街・神戸へ。何度か大きな台風に遭い、大きな地震にも遭い、そして2009年の正月を今、迎えています。 古い自分の詩を久し振りに目にして、enlightenmentと云う言葉が頭に浮かびました。直訳すれば「照明」ですが、一般に啓蒙とか啓発という言葉に訳されています。 光が当たると照らされた面は光の中に明るく浮かび上がりますが、しかし、光の陰となる部分は、コントラストの強さに、ますます闇の中に埋もれてしまいます。光に照らされた、ある一面しか見ることをせず、しかし自分では全体像を見たと思い込んでしまうことは、結局は、物事のある一面だけに注目して全体像を判断してしまうことになるのかもしれません。ほんとうの意味でのenlightenmentは、光に照らされた「明るい面」と共に、闇の中に埋もれた「陰の面」をも見つめることなのかもしれません。 |
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加東・嬉野台 1月 |
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私自身、確かさ や わかりやすさ を求めがちになってしまっています。でも、確かさを追い求めてスポットライトをあてることによって、ほんとうに大切なことを見逃してしまっていることが多いのかもしれません。しっかりと掴んだつもりが、掌からすり抜けるように・・・。 あやふやで混沌とした薄暗い中から、かすかな真実の朧気な輪郭を見い出し、見つめて、そして見極めることが、ほんとうの意味でのenlightenmentではないかなあ〜と、そんな風に思うようになりました。 光に満ち溢れた真夏の眩い太陽の光の下では見落としていたことが、この時期の弱い陽の光の下では、顕れやすく、見透かしやすいのかもしれません。心を鎮めて、目を閉じて、耳を澄ましたいと思います。 |
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2009年元旦の朝、明石・南二見の 海浜公園の近くの東岸壁から播磨灘越しに 明石海峡からの初日の出を見に行きました。 |
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東の空、明石海峡の上空には厚い雲があって、 初日の出は見ることができないような空模様です。 |
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南二見の東岸壁沿いには、たくさんの 車が集まって、初日の出を待っています。 |
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日の出の時刻7時6分を過ぎましたが、 曙光を目にすることはできませんでした。 |
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明石の江井ヶ島海岸、たくさんの人が 曙光の輝きを待っていますが、東の空には 厚い雲が居座って、曙光を遮っています。 今年の太陽の輝きを目にしたのは、 帰路旧浜国道の西江井ヶ島の交差点で 信号待ちをしている時でした・ * |
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玄関の脇の小さなスペースに、 今年も水仙が芽生えました。 日当たりが悪いので 花はだいぶ遅いです。 |
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2009年元旦 |
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